皆さんは「ふぐ」、お好きだろうか? 刺身や鍋で食すと独特の食感があり、すこぶる美味で酒にもよく合う。ただ、ちょっとした高級料理なので食べるにしても「年に何度か、たまに」という方が大半ではないかと思う。
昔から猛毒を持った魚としても知られ、「ふぐは食いたし、命は惜しし」と言われてきたように、ふぐの毒で死ぬ人も多かった。江戸時代には多くの藩が「ふぐ禁止令」を出したほどで、これを破れば厳しい処罰が待っていたのだ。
明治20年(1887)に時の総理大臣、伊藤博文が下関(山口県)の料亭「春帆楼」(しゅんぱんろう)で、こっそり出された「ふぐ」を食して気に入り、「そろそろ、いいだろう」と県下でふぐを解禁にしたエピソードがある。堂々と食べられるようになったのは意外と最近のことなのだ。
長州・下関といえば、ふぐの名産地。幕末のころ、長州では武士も庶民も禁令を破り、好んで「ふぐ鍋」を食していたという。伊藤博文も若いころに食べ、その味は知っていたようだ。
しかし、頑なに食べなかった人がいた。吉田松陰である。彼の文に「河豚(ふぐ)食わざるの記」と題したものがある。
「世に言う、『河豚は毒あり』と。これを好む者は多いが、私は食わない。食わないのは死を恐れるのではない。名を恐れるのだ」
禁止されているからではない。松陰の性格からいって、食べるに値するものならば禁を破ってでも食べただろう。真意は別にあった。
「死ぬことは怖くないが、士たるものが、ふぐの毒で死んでは恥であり、実に不名誉なことだ」
さらに批判は続く。
「ふぐは、阿片(アヘン)のようなものだ。美味いものほど毒が深いもの。だから、誘惑に負けてふぐを好むような輩は、阿片が輸入されれば必ず好んでむさぼるだろう」
ふぐは麻薬と同じ、と手厳しく断じている。当時、清(中国)がイギリスに占領された「アヘン戦争」は、麻薬であるアヘンの密輸が原因で起きた戦争といわれる。その害悪はよく知られていた。
それにしても、松陰のストイックさには改めて感じ入るばかりだ。彼がこれだけ批判するということは、こっそりと食べていた人が多かったのだろう。
伊藤博文は松陰の弟子。師匠が「ダメ」と言っていたにも関わらず、食べていたことになる。彼は単に松陰が批判した事実を知らなかったか、あるいは食の好みは別だったということだろう。
今でも無免許の人が調理したふぐを食べるのは危険だが、もちろん免許を持った料理人が調理したものであれば問題はない。専門店などでは安心して召し上がってほしい。
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