ご飯に2度も汁をかけ、父を嘆かせた北条氏政【哲舟の「偉人は食から作られる!」 VOL.10】

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ご飯に2度も汁をかけ、父を嘆かせた北条氏政【哲舟の「偉人は食から作られる!」 VOL.10】

このコラムの第1回で織田信長と「湯漬け」の逸話を紹介した。実は織田信長だけでなく、戦国武将と「湯漬け」の話は他にもあるのだ。
何しろ飛鳥時代から存在する食べ物、そのエピソードには事欠かない。比較的よく知られた逸話ながら、改めて紹介しておこう。

関東の覇者として5代にわたって君臨した小田原北条氏。ある日、3代目の北条氏康(ほうじょう うじやす)と、彼の息子で4代目の北条氏政(うじまさ)が、久しぶりに一緒に食事をしていた。
このとき食べていたのは、正確にいえば「湯漬け」ではなく、「汁かけ飯」だったらしい。汁ということは出汁が効いていて湯漬けより美味しそうに感じるが、その話はひとまず置いておこう。

さて、息子の氏政は飯に一度、汁をかけて食べた。すると汁の量が足りなかったのか、一度箸を置いてから、もう一度汁を飯椀に注いで食事を続けた。すると横でそれを見ていた父の氏康は溜息まじりに首を振った。

「殿、なにかございましたか?」

家臣たちは不思議に思い、食後に問うた。すると氏康はこう言った。

「あやつの食い方よ。毎日食事をしていながら、飯にかける汁の量も量れんとは情けない。北条も、わしの代で終わるか・・・」

そんな大袈裟な・・・と感じるかもしれないが、以前にも紹介したように、家臣も伴った公の場での食事は非常に重要だった。とくに湯漬けの食べ方には古来より作法があったほど(VOL.1参照)。

食べ方の作法ひとつ見れば、分かる人にはその人物の器量が知れたらしい。

飯にかける汁の量も知らない氏政に、国政を任すことなどできないと、父は嘆いたのである。国を経営するには、物資や米の管理に人材の見極めなど、あらゆる計算が必要になる。氏康の嘆きは至極もっともだ。

氏康が心配した通り、北条氏はこの4代目・氏政がまだ存命中、息子で5代目の氏直の代になってすぐ、豊臣秀吉によって攻め滅ぼされてしまった。

写真=北条五代が居城とした小田原城(神奈川県小田原市)=筆者撮影
写真=北条五代が居城とした小田原城(神奈川県小田原市)=筆者撮影

しかし、実際には氏政は当主としてそれなりの役割を果たし、20年間も北条の命脈を保った。
豊臣秀吉の20万の大軍に対し、氏政は徹底抗戦に及び、3ヶ月の籠城戦の末にようやく降伏。最後は息子に代わって潔く腹を切った。

氏政が無能だったのではなく、秀吉の天下が来てしまったということだろう。
汁かけ飯のエピソードも、まだ若く未熟だった氏政を、氏康が心配しすぎたという程度に考えておくべきかもしれない。

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