永禄3年(1560年)5月19日、織田信長は「桶狭間の戦い」に出陣する直前、居城の清須城内で『敦盛』(あつもり)を舞い始める。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり」
この時代劇でおなじみの舞いを終えた後、立ったまま食事をかき込むと具足を着け、出陣していった。
結果、今川軍に見事勝利。この一戦をきっかけに、信長が天下統一めざして突き進んでゆく流れはあまりに有名だ。
さて、このとき信長は「立ったまま」何を食べたのか。実はよく分かっていないのだ。「握り飯」かもしれないし「湯漬け」かもしれない。ただ、小説などでは、当時ポピュラーだった「湯漬け」が描かれていることが多いので、その「湯漬け」と仮定したい。
現代の「お茶漬け」の元祖といえるが、なぜ「茶漬け」ではなく「湯漬け」なのか。それは、お茶といえば当時は高級品。ご飯にかける発想などなかったからだ。
また、今のような葉を使う煎茶(せんちゃ)ではなく、当時は粉末を使う「抹茶」が主流。時代劇で千利休が茶室で点てる、あの茶だ。ご飯にかけても美味しくはないだろう。だから「茶漬け」ではなく「湯漬け」なのだ。
では、なぜ湯をかけたのか。炊飯器のない昔のこと。炊きたてを食べた後は保温ができず、残りは冷たく固くなってしまう。そこで湯をかけ、温かく柔らかく、少しでも美味しく食べようとの知恵から生まれたものだった。
雑炊と比べてすぐに用意でき、手早く食べられるので、信長のような戦国武将が出陣前に食すものとしても都合が良かったのだろう。
実は、飯に湯をかけて食す習慣は戦国時代よりはるか昔、相当古くからあった。「冬は湯漬、夏は水飯にて御飯を食すべきなり」と、『今昔物語集』(11世紀ごろ)にも書かれているように、暑い時期は水をかけて食べることもあった。
さらに古い記録によれば、飛鳥時代の645年、蘇我入鹿(そがのいるか)の暗殺を命じられた者が宮中に乗り込む前、「水漬けをすすって腹ごしらえをした」というもの。少なくとも飛鳥時代からあったらしい。
また、質素な食べ物なので庶民的なものかと思いきや、貴族や武士たちの公式行事で供されることも多かった。
「湯漬けには香の物、豆醤、焼き味噌などを1品添えて出すこと」、「最初は香の物から食すこと」、「湯は食べている最中にはすすらず最後に飲み干すこと」、などという作法まで存在したぐらいである。
湯漬け。非常にポピュラーかつ、老若男女、身分を問わず食される日常食だったようである。会議の場で、偉い人たちがズルズルやっている図、想像すると親しみが湧いてはこないだろうか?
お茶漬けの登場は、煎茶が庶民に広まった江戸時代の中ごろからになる。