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昔の人が、ご飯にお湯をかけたのは何故?織田信長が出陣前に食べた「湯漬け」の正体【キュレーター:哲舟】

編集長のKです^^
今日は編集部推薦のキュレーターをご紹介します!

 

イベント取材に行けば必ずと言って良いほどゲストや参加者としていらっしゃり、歴史業界では知る人ぞ知る!?人気歴史コラムニスト「哲舟」こと上永哲矢さんの連載が決定!

編集長・副編集長では書けなかったジャンルの記事を今後、更新していきますので、みなさま、ご期待くださいませー!!

 

さて、哲舟さん初回のコラムは、年末の忘年会でお疲れの方が食べたくなる!?あの食べ物をご紹介です!

 

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哲舟の「偉人は食から作られる!」 VOL.1

昔の人が、ご飯にお湯をかけたのは何故?
織田信長が出陣前に食べた「湯漬け」の正体

 

こんにちは。歴史コラムニストの哲舟こと、上永(うえなが)哲矢です。今日から、歴史上の人物と食べ物・食文化との関わりを紹介する記事を連載したく思います。みなさん、よろしくお願いします!

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いまから約450年前。永禄3年(1560年)5月19日の午後1時ごろ、織田信長は「桶狭間の戦い」に出陣する直前、居城の清須城内で『敦盛』(あつもり)を舞い始める。

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「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり」

この時代劇でおなじみの舞いを終えた後、信長は側近に「湯漬けを持て!」と命令。運ばれてきたそれを、彼は立ったままかき込むと具足を着け、出陣していった。

結果、10倍近い数を誇った今川軍に見事勝利。この一戦をきっかけに、信長が天下統一めざして突き進んでゆく流れはあまりに有名だ。

 

さて、ここで出てくるのが「湯漬け」。当時の文献『信長公記』のこの場面にも、ちゃんと記されている食べ物である。

現代の「お茶漬け」の元祖といえるが、なぜ「茶漬け」ではなく「湯漬け」なのか。それは、お茶といえば当時は高級品。ご飯にかける発想などなかったからだ。

また、今のような葉を使う煎茶(せんちゃ)ではなく、当時は粉末を使う「抹茶」が主流。時代劇で千利休が茶室で点てる、あの茶だ。ご飯にかけても美味しくはないだろう。だから「茶漬け」ではなく「湯漬け」なのだ。

では、なぜ湯をかけたのか。炊飯器のない昔のこと。炊きたてを食べた後は保温ができず、残りは冷たく固くなってしまう。そこで湯をかけ、温かく柔らかく、少しでも美味しく食べようとの知恵から生まれたものだった。

雑炊と比べてすぐに用意でき、手早く食べられるので、信長のような戦国武将が出陣前に食すものとしても都合が良かったのだろう。

 

実は、飯に湯をかけて食す習慣は戦国時代よりはるか昔、相当古くからあった。「冬は湯漬、夏は水飯にて御飯を食すべきなり」と、『今昔物語集』(11世紀ごろ)にも書かれているように、暑い時期は水をかけて食べることもあった。

さらに古い記録によれば、飛鳥時代の645年、蘇我入鹿(そがのいるか)の暗殺を命じられた者が宮中に乗り込む前、「水漬けをすすって腹ごしらえをした」というもの。少なくとも飛鳥時代からあったらしい。

 

また、質素な食べ物なので庶民的なものかと思いきや、貴族や武士たちの公式行事で供されることも多かった。

「湯漬けには香の物、豆醤、焼き味噌などを1品添えて出すこと」、「最初は香の物から食すこと」、「湯は食べている最中にはすすらず最後に飲み干すこと」、などという作法まで存在したぐらいである。

 

湯漬け。非常にポピュラーかつ、老若男女、身分を問わず食される日常食だったようである。会議の場で、偉い人たちがズルズルやっている図、想像すると親しみが湧いてはこないだろうか?

お茶漬けの登場は、煎茶が庶民に広まった江戸時代の中ごろからになる。
(哲舟=歴史コラムニスト)

 

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(写真説明)
1枚目:湯漬けから発展した、現代のお茶漬け

 

2枚目:織田信長の銅像(清須城跡にて、筆者撮影)

 

3枚目:敦盛を舞う信長をイメージした人形(清須城内にて、筆者撮影)

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上永哲矢(うえなが てつや)
通称:哲舟。歴史コラムニスト、フリーライター。『時空旅人』『歴史人』などの雑誌・ムックに、歴史や旅の記事・コラムを連載。三国志のほか、戦国時代や幕末など日本史を得意分野とする。『三国志フェス』などイベント・講演の企画運営や、三国志関連本の制作にも関わっている。神奈川県横浜市出身。

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