歴人マガジンでは、新しく歴史ファンになってもらうのと共に、コアな歴史ファンの方にも楽しんでもらえるように、今後は少しずつコラム形式で、歴史トリビアをあげていきたいと思います。
そこで今日は、先日アプリになって紹介された伊能忠敬さんにもう少しフォーカスしてみました。
伊能忠敬については「TERAKOYA」の名物プレゼンター キチエモンこと安東さんが昨年プレゼンし大好評だったほか、生まれ故郷である千葉の佐原まで行って編集長Kが取材レポートを書いています。
また、最近では日本中を歩いた伊能さんをモチーフにした万歩計アプリも登場したとか。
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今回調べてみましたが、返す返すも凄い人なので、これらの記事をいくつか読めば、もうあなたはすっかり「伊能忠敬」を語れるはず。では、どうぞお読みください!
日本地図を作ったことで知られる伊能忠敬。
江戸時代に日本全国を徒歩で測量して、現在の物とほとんど狂いのない正確な日本地図を作っていたことに驚かされるが、伊能忠敬の凄いところは、それだけではないのです。
当時、神保三治郎と言った忠敬は、17歳の時に、今にも潰れそうだった佐原(現在の千葉県香取市)の造り酒屋・伊能家に婿養子として迎え入れられ、勤勉に働き続けて家業を立て直したばかりか、新たに薪や米の取引にも事業を広げて莫大な財を為し、天明の大飢饉(天明2年(1782年)〜天明8年(1788年))においては、私財を投げ打って地域住民を助けるなどして、一躍、名士の仲間入りをしたとか。
商売人としての才能もあるうえに、正義感あふれる人だったんでしょうね。
さらに独学で暦学を学んだ忠敬は、49歳で家業を長男に譲って隠居して、50歳にして天文学を学び始め、自宅に天文観測所を作るなど趣味が高じると私財を投じて徹底的に研究を行っていったのだとか。
そんな感じで50代も半ば頃から測量を始めて、17年近くを費やし、70歳を超えた頃、初の日本地図を完成したそうです。
人生50年と言われていた時代に、50近くなってから暦学を学び、50歳から天文学、さらに、50代半ばから測量と、とどまるところを知らない旺盛な好奇心と知識欲に突き動かされるようにして、溢れんばかりの情熱と莫大な私財を注ぎ込み、それらが結実したのが、今日まで偉業として称えられる「伊能図」とも呼ばれる(正式には「大日本沿海輿地全図」と言う)日本地図の完成なのです。
高齢化社会と言われて久しい現代日本においても、好奇心や情熱を失わず、いくつになっても新しいことに挑み続け、第二、第三の人生をも謳歌する、そんな人生を送りたいもの。
自分も含めてですが、世の中のオジさん達、「俺はもう年だから・・・」なんて嘆いてないで、伊能忠敬さんを見習って頑張りましょう(笑)
副編集長Y
参照元:
伊能忠敬 – Wikipedia
大日本沿海輿地全図 – Wikipedia
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