初めての特攻作戦。これを護衛するということは大変な名誉であり、何よりも凄腕のパイロットでないと務まらない役目だった。
さて、具体的にどんな役目なのか?
帝国海軍上層部は、これを西沢に託した。5機の特攻機、そして西沢たち護衛の3機が空をゆく。
今回の作戦は敵のレーダーをかいくぐるため、海面スレスレの低空を飛び、敵を発見したら2千メートルまで上昇、そこから一気に急降下して突っ込む。
西沢は特攻機を見ながら呟いた。戦闘機乗りの闘志が全身に宿る。
そして、敵の空母が見えてきた。4隻いる。すぐに西沢たちはグイッと操縦桿を引き、一気に高度2千メートルへ。さらに護衛機は特攻機を守るため、そこから500メートル高みに昇る。
そのときだった。敵機が雲間にいるのを西沢は見逃さない。
「こっちだ、グラマン」
特攻機ではなく、西沢たちに向かってくるよう誘った。食いついてきた。急旋回、西沢は狙いを定めた。
「ダダダダダダダッ」
エンジンに命中、グラマンは海に落ちる。
「特攻機は??」
すぐに西沢は回りを見渡す。すると敵の対空砲火の中、特攻機は空母に突入しようとしていた。西沢の視界は砲煙で暗く、必死に目で追った。その刹那、特攻機は垂直に敵空母に突っ込んだ。大爆発が起こる。
他の特攻2機も別の空母に突っ込んだ。間違いなく仕留めただろう。さすがの西沢も残りの2機は確認できなかった。身体に電流が走る。西沢は大粒の涙を流していた。
「よくぞ、よくぞやってくれた」
長居は無用、感傷的になっている場合ではない。無事に帰り、彼らの奮闘を報告せねばならない。ギュイっと零戦を反転させ、基地を目指す。
帰り道、西沢は死というものを深く考えた。
「オレは少しでも多く敵を落とし、国を守る。迷うな」
そう自らを鼓舞し、自分の任務をシンプルに考え直した。基地に着き、戦果を報告。上官は大層喜んだ。そして西沢にこう告げた。
「零戦を置いていってくれ。特攻機を一機でも多くしたい。明日輸送機で送るから」
愛機との別れという一抹の寂しさがよぎったが、西沢は承諾した。
そして、昭和19年10月26日、西沢が操縦しない輸送機は消息を絶った。成す術もなく、敵機に撃墜された。零戦に乗れば天下無双だった男は、24歳で死んだ。
生前、西沢には仲の良い人物がいた。今に残る西沢の写真の多くは、その人物が撮った。
西沢はこんなことを、吉田さんに云ったそうだ。
※参考資料
「最強撃墜王」 武田信行(光人社)