「流星刀」という刀をご存知でしょうか。なんでも、日本で初めて発見された鉄隕石で作られた刀なんだとか。
隕石を使ってるから“流星”刀。何とも素敵な名前ですね。
その流星刀が作られたのには、幕末から明治にかけて活躍した榎本武揚が関わっていました。今回はそんな榎本武揚と流星刀のエピソードについてご紹介します。
旧幕府軍として戦い、明治政府に尽力した榎本武揚
幕末の新政府軍と旧幕府軍が衝突した戊辰戦争。旧幕府軍は敗走を続け蝦夷地(現在の北海道)へ渡り、蝦夷地共和国という新たな国を作ります。
この時、選挙によって総裁に選ばれたのが榎本武揚でした。
明治2(1869)年に降伏しますが、敵将だった黒田清隆や縁故のあった福沢諭吉の嘆願により助命されます。
その後、明治政府の役人として北海道の資源調査やロシアとの交渉に当たっています。
公務先であるロシアで鉄隕石による剣を知る
駐露特命全権公使としてサンクトペテルブルクに赴任していた時、武揚は鉄隕石で作った剣の存在を知ります。
海外では既に作られており、ロシア皇帝も秘宝として所持していました。
これにいたく感動した武揚は、日本でも鉄隕石による刀を作ることを夢見るようになったのだとか。
日本初の鉄隕石を自費で購入
日本で初めて鉄隕石の発見が発表されたのは、明治23(1890)年のこと。富山県にある上市川の上流で拾われた石がやけに重く、調査に出されて隕鉄だということは発覚したのです。
それを知った榎本武揚は自費で鉄隕石を購入し、刀工・岡吉国宗に作刀を依頼します。
普通の鉄より柔らかくて扱いに苦労したとのことで、結局鉄隕石3、鋼2の割合で混合して日本初の隕鉄刀が生まれました。
現存する4振りが「流星刀」と呼ばれる
流星刀は長刀3振り、短刀2振りの計5振りが作られ、一部が当時皇太子だった大正天皇に献上されたとのこと。
現在は東京農業大学に長刀が1振り、富山市天文台に短刀が1振り収蔵されています。
富山市天文台では年に2回、本物を展示しているようなので、興味がある方は見に行ってみてはどうでしょうか。
鉄隕石を使った刀はその後も作られていますが、国内で見つかった鉄隕石を100%使った刀はまだ存在しないのだとか。
実現したら大ニュース間違いなし。その日が訪れることが楽しみですね。
(Sati)
参照元:富山市天文台