名探偵といえば金田一耕助や明智小五郎が有名ですが、彼らはみんな創作の中の人物です。しかし、大正初期の日本に本物の名探偵がいたのをご存知でしょうか。その名は岩井三郎、日本最古の探偵事務所を開いた人物です。
日本最古の探偵事務所を開いた男
岩井三郎は元警視庁の警察官で、日清戦争時には司法主任としてスパイの摘発などに関わっていました。しかし、警察だけの捜査に限界を感じたために退職、そして明治28(1895)年に日本最古の探偵事務所「岩井三郎事務所」を開業したのです。
彼が警察で培ってきた調査能力や諜報活動を生かし、数々の事件を解決すると、彼の名はまたたくまに政財界にまで高まったのでした。
実は、江戸川乱歩が入社を志望して面接に訪れているんです。乱歩は「推理力には自信がある」と売り込みましたが、この時は不合格になってしまいました。その後、何とか入社して働いていたらしいと言われています。
岩井三郎の名は創業者から三代にわたって引き継がれました。そして、岩井三郎事務所は現在は株式会社ミリオン資料サービスとなって存続しています。
近代の最大疑獄事件・シーメンス事件の解決に関与!
大正初期、ドイツ企業シーメンスによる日本海軍高官への贈賄事件・シーメンス事件が起こりますが、この解決に岩井三郎が大きく関わりました。
元シーメンス社員が重要文書を盗み出して本社を恐喝した事件の裁判中に、日本海軍首脳が贈賄を受けていたことが明るみに出たのです。加えて、イギリスのヴィッカース社に日本の巡洋艦「金剛」を発注することに関しても賄賂がやり取りされていたことがわかりました。これによって海軍少将と大佐、三井物産の重役までもが検挙されたのです。
それだけではなく、呉鎮守府司令長官・松本和中将にまで贈賄がなされていたことが判明しました。海軍のトップに属する人物の汚職事件に政界は激震し、当時の山本権兵衛内閣は総辞職に追い込まれたのです。というのも、山本権兵衛自身が海軍出身だったためでした。
戦後日本のロッキード事件にも比する大事件の影には、政府から依頼を受けて贈賄の証拠集めをした岩井三郎の存在がありました。スパイ摘発などに能力のあった彼は、諜報活動で証拠を積み上げ、この世紀の贈賄事件を明るみにしたのです。
無実の罪から華族の御曹司を助ける!が・・・
当時の仙台藩知事にして華族でもある伊達宗敦には、札付きのワルとして有名な息子・順之助がいました。素行が悪すぎて学習院から入学を断られたほどの不良だったのです。
その順之助が、縄張り争いで不良学生を射殺するという事件が起きてしまいました。地方裁判所では懲役12年の判決、控訴審でも懲役6年の判決が下されたのです。
しかし、順之助は正当防衛を主張していました。そこで、伊達家は名探偵の誉れ高い岩井三郎にこの立証を依頼したのです。
三郎は数か月かけて調査を行い、相手学生の素行などを調べ上げ、ついには順之助の正当防衛を立証してみせました。これにより大審院差し戻しとなり、順之助は執行猶予で釈放となったのです。
ただ、この順之助が素行を改めることはなく、彼は中国に渡って満州馬賊として各地を暴れ回り、戦後は戦犯として処刑されることになるのでした・・・。この人、これでも伊達政宗の直系の子孫なんですけど・・・。
この他、「花王歯磨密造事件」や「古河炭鉱詐欺事件」などの解決にも岩井三郎は関わっています(両事件とも詳細不明)。明智小五郎のモデルだったとも言われています。2代目は弁護士業と兼務し、GHQからの依頼もあったそうですよ。その素顔が知りたいのですが、多くは伝わっていないようです。さすが名探偵ですね・・・。
(xiao)
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