昨今は日本の女性の貞操観念の低下が叫ばれてる・・・のでしょうか?
たしかにご年配の方のお話を伺うと、親や周囲の紹介でお見合いしたらそのまま結婚が常識。婚前交渉はもってのほか! という向き、一昔前はあったようです。
それが当たり前だった時代の方々の中には、21世紀の若い女性の感覚は目を疑うという方もいらっしゃるかもしれませんね。
ですが、「ちょっと待った!」と言いたい。実は歴史を遡ってみると、女性の高い貞操観念は日本伝統の価値観ではない、という一面が見えてきます。その一端をご紹介します。
恋=夜這い=セックスが「常識」だった
日本最古の物語と言われる『竹取物語』。
かぐや姫に求婚した公達が、夜になるとその姿を一目見ようと屋敷の周りを徘徊しますが、『夜這う』とはここから生まれた言葉と語られています。実際そうなのかはさておき、日本有史以来から「夜這い」という言葉があったことはわかります。
意味も「夜に男が女の元に忍び込むこと」とほとんど変化なく今日まで伝わっています。ただ、現代の我々が考えるような男性からの一方的・暴力的なものではなかったようです。女性から誘うこともOK、事に至るには双方の合意が必須とされました。
未婚も既婚も複数人との交渉が当たり前
さらに、男女ともに同時に複数の異性と関係を持つことは珍しくありませんでしたし、相手が未婚か既婚かもあまり問われなかったようです。
それどころか人妻が若い男に手ほどきすることは当たり前だったとか。
また、村では旅人が訪れた時、その家の女性が一夜の“奉仕”をすることもありました。
これは今より人と出会う機会の少ない時代、外からの“種”を得る貴重な機会として歓迎され、女性としてもこの“奉仕”は名誉だったようです。
とは言え、完全なフリーセックス社会だったというわけではなかったようです。
恋多き女性として有名な和泉式部は身分違いの恋で家から勘当され、紫式部からは非難され、藤原道長からは浮かれ女・・・つまり遊女とまで言われたとか。また、男系相続が色濃い武士社会では女性の貞操観念が高い向きもあったようです。
西欧から貞操観念が“輸入”されるも定着しなかった
西欧諸国に深く根付いていたキリスト教思想では処女信仰が強く、性欲も邪悪な考えとして否定していました。
これまでの日本の常識とは真逆の発想と言えます。そのためか、この価値観は幾度も日本にもたらされるものの、なかなか定着しませんでした。
戦国時代にルイス・フロイスは日本で純潔を守ることの大切さを説きましたが、誰も聞く耳を持ってくれないと書簡で嘆いています。
近代になると国策として西洋に習い、その一端として夜這いを禁止しようとします。が、先述した通り夜這いは日本人の日常。「夜這いがなくなったらどう結婚すればいいのか」と猛反対に遭い、その後も広く行われてきたそうです。
貞操観念は戦後の新しい価値観
夜這いの文化が日本で滅亡したのは、なんと戦後のこと。
理由は判然としていませんが、農業の機械化によって労働が緩和され村落の結束が弱まったこと、交通網が整備され村の外に行きやすくなり、選択肢が増えたことが考えられているようです。
高い貞操観念はちょうど同じ頃に新たな「常識」へと変わっていきます。敗戦を通じて初めて西洋の価値観が日本全体に浸透したという面もあるかもしれません。
豊かな歴史と文化を育んできた日本の在り方は、「こうだった」と一言で言えるものではありません。
その一つ一つを紐解きながら、我々はどう生きるべきか改めて考えてみてもいいかもしれませんね。
(Sati)