【日本の武士は強かった】大河ドラマ「平清盛」や「おんな城主 直虎」から、合戦の進化の歴史を学べ!

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日本人に限らず、武士・侍(サムライ)に関心を持つ人は多い。それはこの国の歴史の大半が「武士の歴史」といっても過言ではないからかもしれない。今年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』にしても、昨年の『真田丸』にしても、主役や登場人物のほとんどは武士(戦国武将)。武士なくして、日本の歴史を語ることはできないのである。

大河ドラマ『平清盛』より ©NHK

では、武士は一体いつから日本に存在していたのか。日本における武家政権「武士の時代」は源頼朝がつくった鎌倉時代、足利尊氏がつくった室町時代、徳川家康がつくった江戸時代。およそ700年にわたって続いたが、その礎を築いたのは、やはりこの人。平清盛だろう。

武士は当初、朝廷や貴族を護る番犬のような存在だったが、次第に成長して一地方の領主となる者が現れ、ついには天下をとる者が誕生した。こうした世の流れは、清盛が築き上げたといっていい。その700年ほど続いた武士の時代においては、武士の在り方や存在意義もさまざまに変化した。中でも、多大な「進化」が認められるのは、戦闘のスタイルもそうだが、それにともなった装備品(武器・武具)ではないだろうか。

ドラマ『平清盛』に見る弓矢の扱われ方

大河ドラマ『平清盛』より ©NHK

そこで、今回は平安時代を舞台とした大河ドラマ『平清盛』における武器に注目してみよう。まず、このドラマでも最も頻繁に使われる武器が弓矢である。弓矢は古来、狩りの道具として編み出され、これが戦(いくさ)にも用いられるようになったといわれる。

武家のことを「弓矢の家」と称したり、「いくさ」の語源にしても、「射交わす」(いかはす=いくは)、「矢」(や=さ)から転じたものとされ、戦は弓矢の射ち合いから始まることを暗に示しているのだ。

平治物語絵巻より
(国立国会図書館所蔵)

当時の合戦の様子を記した『平治物語絵巻』の論功行賞の場を見ても、鎧をまとった者から束帯姿の者までが、身の丈よりも大きな弓矢を持っている。戦いに身を置く者ともなれば、弓矢を使えなければ、どうしょうもなかったのだろう。

蒙古襲来合戦絵巻より
(国立国会図書館所蔵)

また、元寇(げんこう)の戦闘の様子を描いた『蒙古襲来合戦絵巻』では、騎馬武者の集団が馬上から前方へ矢を放つ「騎射」を行っていた様子が描かれる。日本製の弓は「和弓」といい、外国の弓に比べて大型であり、性能も威力も優れた逸品だった。

元寇といえば、一騎討ちを挑もうとしてあえなく討たれた日本側の武士がいたとか、「神風」による奇跡の勝利といった通説ばかりが喧伝されるが、実際にはこの日本の武士たちによる巧みな「騎射」は、モンゴル・元軍を大いに苦戦させ、防衛成功の一因となったのである。

大河ドラマ『平清盛』より ©NHK

当時の武士たちは、「大げさ」にも思える大鎧(おおよろい)を身にまとっていたが、これは主に「矢よけ」の役割を担う盾でもあった。兜の両脇に張り出した吹返(ふきかえし)、肩と上腕部を覆う大袖(おおそで)は、その最たるものだ。

剣が廃れ、刀が主力となったのは何故か?

大河ドラマ『平清盛』より ©NHK

次に注目したいのが「刀剣」。大河ドラマ『平清盛』の序盤などで、清盛が宋剣(中国産の剣)を手にする場面がある。「剣」は、まっすぐな両刃を持った武器で、日本では「直刀」(ちょくとう)とも呼ばれる。

唐本御影より

少し時代は遡るが、聖徳太子(厩戸皇子)らしき人物が剣を腰に下げている絵がある。剣は戦闘用や護身用にはもちろんのこと、古くから儀礼の場で使われていたが、「武器」としては用いられなくなっていった。

「騎馬武者像」
(京都国立博物館所蔵)

代わって主力武器となったのが、反り返った片刃を持つ「刀」、つまり日本刀である。日本の武士は当初、騎馬戦を重んじていた。そのために馬上で射る弓と同様、馬を走らせざま「斬りかかる」という用途に適した武器として好まれるようになった。これが、主に突くための武器である「剣」よりも、威力の高い斬撃が可能な「刀」が発達した理由とされている。また、太刀(たち)という呼び名も「断ち」に由来している。

大河ドラマ『平清盛』より ©NHK

ドラマ上の演出ながら「平治の乱」で、清盛が宿命のライバル・源義朝と刃を交えるシーンがある。時代劇においては「定番」ともいえるこの鍔迫り合い。ただ、合戦では最初から刀を抜いていたわけではなく、このように敵と肉薄してから初めて刀を抜いたようだ。

「蒙古襲来合戦絵巻」より
(国立国会図書館所蔵)

『蒙古襲来合戦絵巻』の場合、敵との距離が離れているためか、刀で斬り結んでいる場面は描かれていない。特に船の上では距離も遠いので弓の射ち合いだけ。絵のように船と船が接近してようやく刀で斬りかかろうとしている場面が見られる。では、騎馬武者以外の歩兵は、弓や刀以外に何を武器に戦っていたのだろうか。

歩兵による接近戦の武器は?

「平治物語絵巻」より
(国立国会図書館所蔵)

まず、薙刀(なぎなた)があった。平安時代~鎌倉時代の後期ごろまでは、薙刀が近距離戦で愛用されていた。ちょっと生々しい描写だが、『平治物語絵巻』では、討った敵の生首を薙刀に刺し、誇らしげに歩く武士たちの姿がある。薙刀は大きく振り回して使う武器なので、歩兵専用。薙刀を持った騎馬武者は描かれていない。『三国志演義』で、馬上の関羽が青龍偃月刀(薙刀の一種)を振るうような場面は残念ながら見られなかったのかもしれない。

薙刀のような長柄の武器は、リーチがあるので当然ながら刀よりも有利である。しかし、薙刀は振り回すというか、「薙ぎ払う」武器なので、敵ばかりか味方をも傷つける危険性がある。そのためか時代が下って戦闘のスタイルが変化すると、僧兵や女性が持つ護身用の武器としては使われ続けたが、戦場の最前線では使われなくなっていく。

「小牧長久手合戦図屏風」より
(大阪城天守閣所蔵)

代わって台頭したのが、である。古来、狩りや戦闘で使われた矛(ほこ)を、「投げ遣(や)る」という意味から転じて、「槍」と呼ぶようになったという。薙刀に比べて「突く」「払う」といったコンパクトな動作がしやすく、集団で持つ(槍ぶすまを敷く)ことで敵の騎兵の接近を防ぐこともできた。

「川中島合戦図屏風」より
(ミュージアム中山道所蔵)

だいぶ時代は下ってしまうが、戦国時代の永禄4年(1561)「川中島の戦い」を描いた『川中島合戦図屏風』には、馬上から太刀を振り下ろす上杉謙信は別として、その周りでは槍を持って戦う将兵が目立っている。すでに槍が主力武器になっていたことが分かるだろう。(注:屏風絵の多くは江戸時代に描かれたものなので、当時の戦いがどこまで忠実に再現されているかは不明)

「賤ケ岳合戦図屏風」より
(大阪城天守閣所蔵)

部隊長クラスの将も馬を下り、槍を手に戦う姿が描かれているのは『賤ヶ岳合戦図屏風』だ。福島正則や加藤清正など、あの有名な「賤ヶ岳七本槍」の活躍場面である。馬上で弓矢を射る武将の姿はない。地形や合戦の規模といった状況によっても変わったのだろうが、最前線で馬に乗っていれば弓や鉄砲の格好の標的になってしまっただろう。

『おんな城主 直虎』では、鉄砲の登場も見どころか?

大河ドラマ『おんな城主 直虎』では、まだ本格的な合戦シーンは描かれていないが、次郎法師(井伊直虎)の時代や、その養子とされる井伊直政が戦場で活躍する頃には槍が主力武器となっていたはずだ。そして16世紀後半、織田信長が武田勝頼を破った「長篠・設楽原の戦い」(1575年)では鉄砲(火縄銃)が大量投入され、時代が一気に動いた。この年、井伊直政はまだ15歳で元服前。ドラマで直政が戦場を駆けるのはそれ以降になるが、鉄砲もそのあたりで間違いなく登場するだろう。

左が安土桃山時代に生まれた当世具足。右が旧式の大鎧。

時代が変われば戦い方も変わる。名のある武者同士が馬上で個人技を競った時代から、徒歩武者(かちむしゃ)による団体同士の大戦へと戦いは「進化」していったのだ。鎧も、大鎧から動きやすく機能性を重視した「当世具足」(とうせいぐそく)に変わった。

数百年に及ぶ戦いの中で武士は「進化」を続け、16世紀後半の豊臣秀吉政権下の日本は、世界でも類を見ないほどの軍事力・兵力を持つに至る。アジア諸国に欧州列強が進出する中、日本は軍事力を拠り所に、自衛にも務めていたのである。12世紀を舞台にした大河ドラマ『平清盛』、16世紀を舞台にした『おんな城主 直虎』。その両大河ドラマを見比べて、武士の戦いの変遷や進化に注目してみるのも面白いだろう。

まもなく放送の大河ドラマ『平清盛』と特番を見逃すなかれ!


さて、2017年2月20日(月)からチャンネル銀河で放送が開始される大河ドラマ『平清盛』だが、それに先立つ3日前の2月17日(金)、特番『平安トーーク!大河ドラマ「平清盛」“#銀河盛”に備えよ!!』がオンエアする。同ドラマで時代考証を務めた本郷和人教授(東京大学史科編纂所)、“盛絵”を描いたキャラクターデザイナーの高田明美さんらが、大河ドラマ『平清盛』の魅力をディープに語るトーク番組だ。

去る1月21日、この番組の公開収録が東京都内で行われ、生でネット配信も行われた。視聴者も招待されて大いに盛り上がった当日の模様、触りだけではあるがここに掲載しておきたい。


ファンから撮影攻めに遭っていた本郷教授。放送では、
「2012年の放送当時は『壇ノ浦で平家が滅ぶ』と言っただけで『ネタバレやめてください!』という人もいて、大変でした(笑)。制作現場で印象的だったのは、細やかな動作や台詞ひとつでも『不自然ではありませんか?』とか、たくさんの質問を受けたことです。すごくこだわりを持って作られていた。そういった役者さんやスタッフの頑張りを間近に見ていたので、再放送が決まって本当に嬉しいです。」
と当時の状況や感想を語っていた。


放送当時、毎週の放送に合わせて“盛絵”を、ツイッターに投稿し続けていた高田明美さん。『うる星やつら』『魔法の天使 クリィミーマミ』『きまぐれオレンジ☆ロード』『機動警察パトレイバー』といった名作アニメなど、数々のキャラクターデザインを担当されたイラストレーターだ。

“盛絵”は、もちろん自発的な創作であり、報酬を得ていたわけではない。
「毎週、”早盛”から”本盛”までの間に1枚あたり20分で描き上げていました。『真田丸』でも、”丸絵”を描いていましたけど、あんなに『毎週描きたい』と気持ちが盛り上がって1話に何枚も描いたのは、今のところ『平清盛』だけです」と、創作秘話を明かしてくれた。


こちらは司会の磯部深雪さん「憧れの本郷先生と高田先生とご同席できて良かったです。この番組をきっかけに『平清盛』視聴の気分を高めてくれたら嬉しいです」と話してくれた。番組の収録は、このような赤電話が置かれた古民家で行われ、アットホームな雰囲気の中での収録だった。収録当日は配信されなかった、エクストラ・トークも収録された特別番組。大河ドラマ『平清盛』本編放送の前に楽しんでみてはいかがだろうか。

【文/上永哲矢(哲舟)】

「平安トーーク!大河ドラマ「平清盛」“#銀河盛”に備えよ!!」をチェック!


放送日:2017年2月17日(金)午後2:00~ほか
海の底の都から蘇る!「平清盛」のディープな魅力を、時代考証の東京大学史料編纂所・本郷和人教授、“盛絵”を描いたキャラクターデザイナー・高田明美氏らが真剣トーク!
番組ページ:https://www.ch-ginga.jp/movie-detail/index.php?film_id=14725

大河ドラマ「平清盛」

放送日:2017年2月20日(月)スタート 月-金 午後2:00~ ※リピート:深夜0:00~
番組ページ:http://www.ch-ginga.jp/feature/kiyomori/

【ストーリー】
元永元年(1118年)、京都。貴族の世は乱れ、武家である平氏の嫡男、忠盛(中井貴一)も朝廷に命じられるまま盗賊の捕縛などをしていた。ある日、忠盛は貧しい身なりの女性と出会う。舞子(吹石一恵)というその女性はかつて御所に出入りしていた白拍子で、時の最高権力者、白河法皇(伊東四朗)の子を身ごもっていた。忠盛はお腹の子を殺されることを恐れ逃げてきた舞子をかくまう。忠盛の家の納屋で、舞子は出産。その赤ん坊こそが後に平家の棟梁となる平清盛(松山ケンイチ)であった。

 

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大河ドラマ『平清盛』のCS初放送を記念し、ドラマの魅力を語り合うTwitterキャンペーンを開催。ハッシュタグ「#平清盛の面白きことを教えてやろう」をつけてツイートし、豪華賞品を当てよう!
キャンペーンサイト: https://www.ch-ginga.jp/feature/kiyomori_cp/

画像:『大河ドラマ「平清盛」』©NHK

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