第11代将軍:徳川家斉

もとは御三卿一橋家の当主・一橋治済の長男でしたが、家治の養子として第11代将軍に。
松平定信を登用して寛政の改革を行い、在職期間は50年と15人のうちで最長です。妻妾を16人持った色好みで、オットセイを精力剤に使ったため「オットセイ将軍」などと呼ばれました。
第12代将軍:徳川家慶

家斉の次男として第12代将軍に。水野忠邦を登用し天保の改革を行いましたが、常に「そうせい(=そのようにしろ)」としか言わないため「そうせい様」と呼ばれました。父・家斉の力が強すぎて何もできず、というのもあったようです。
第13代将軍:徳川家定

家慶の四男。大河ドラマとなり有名な篤姫の夫です。幼少より病弱で、表舞台にはほとんど出ませんでした。しかしお菓子作りが趣味だったようで、手製のカステラなどを近臣に振る舞ったそうです。
第14代将軍:徳川家茂

もとは徳川御三家紀州藩の藩主でしたが、家定に子が無かったため、家定の従弟だった家茂が14代目将軍に。わずか21歳で亡くなってしまいましたが、勝海舟は「もう少し生きていたら名君になれただろう」と評しています。フランスとイタリアで蚕の伝染病が流行り養蚕業が壊滅した時には、家茂が蚕の卵を集めてナポレオン3世に送り助けました。日仏交流の礎を築いたといわれています。
第15代将軍:徳川慶喜

言わずと知れた最後の将軍ですね。大政奉還や新政府軍への江戸開城を行なったことで有名です。
その一方では多趣味な風流人としての側面もあり、実は手裏剣の達人だったそう。またカメラを愛好したり、側近と共にサイクリングも楽しんだそうです。戊辰戦争後は貴族院議員として国政に復帰しました。
十人十色な徳川将軍
徳川将軍15名を簡単にご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
隠れた功績というか、意外と人間的に面白い一面を持っている将軍がいることがわかりますね。
15人もいて覚えられないという方、特徴を頭に入れてみると覚えられるかもしれませんよ。
ここに書いたのはほんの一部。ぜひそれぞれの将軍について興味をもち、調べてみるきっかけにしてください。
(xiao)