学校で歴史上の偉業は学んでも、その当事者が何歳だったのかなんてあまり気にしませんよね。けれど、よくよく考えてみると、この年でこんなことを成し遂げたなんてすごくない!?というような例が結構あるんです。
今回は、若いながらも偉業を成し遂げた人物についてご紹介します。
大化の改新の当事者・中大兄皇子は当時まだ大学生!!
聖徳太子の没後、蘇我氏が専横を振るうようになりました。蝦夷と入鹿の親子のやりようは暴挙に近いものだったようです。
そんな中、立ち上がったのが中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足)でした。鎌子が蹴鞠の会で皇子の脱げた靴を拾ったのがきっかけで親密になり、以降彼らは打倒蘇我氏の計画を練るのです。
その後、入鹿を暗殺して(乙巳の変)体制を刷新し、律令政治と中央集権体制を確立し大化の改新を行ったのが645年。626年生まれの中大兄皇子はわずか20歳です。今で言えば大学生の年で国を変えるような大事を行ったのですから、すごいとしか言いようがありません。
13歳で執権の補佐!大国・元に24歳で勝利した北条時宗
鎌倉幕府の執権・北条時宗は1251年に生まれ、7歳で元服し少年時代から官職を歴任しました。13歳で連署という執権の補佐をすでに務め、1268年に18歳で執権となります。今で言ったら首相みたいなものですよね。
これでも信じられませんが、あのフビライ・ハンの元を撃退したのは彼が24歳の時でした。当時の元はヨーロッパまで勢力を広げた大帝国で、そんな国に攻め込まれた日本は創始以来の大ピンチでした。国の命運を担った若き執権、頼りになりますね。天候などの運もあったでしょうが、元からの手紙を突っ返したのは時宗ですから、やはり指導者として器量が大きかったのでしょう。
あの桶狭間の戦いで今川義元を倒した織田信長、当時27歳!
当時最強とも目された今川義元を、尾張の小大名にすぎない織田信長が桶狭間の戦いで破ったという事実は、国中に衝撃を与えました。ここから織田の名が知れ渡り、一気に成長して天下取り目前までこぎつけるのです。桶狭間の戦いは1560年、信長は1534年生まれなので当時27歳の若き青年武将でした。
幕末志士を育てた吉田松陰、わずか28歳であの松下村塾を主宰!
1830年生まれの吉田松陰が、叔父から松下村塾を引き継いだのは1857年、彼が28歳の時のことでした。彼自身が塾生でも良さそうな年でしたが、彼は多くの幕末志士をここで育てます。久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋など、綺羅星のごとき人材が旅立っていきました。しかも彼は1859年に獄死するので、わずか2年ほどの間に日本を変える人材を育て上げたのです。
28歳の時、あなたは何をしていましたか(どうなる予定ですか)?私は、こんなふうになるのは無理です・・・。
国の行く末を左右した薩長同盟、当事者たちはまだ30代
1866年に成立した薩長同盟は、それまで幕府側と反幕府側で対立していた犬猿の中の両藩が同盟を結ぶという、この後の国の行く末に大きく関わってくる事態でした。
まず、この両者を取り持った坂本龍馬は、1836年生まれの31歳。そして薩摩藩の西郷隆盛が1828年生まれの39歳、長州藩の桂小五郎が1833年生まれの34歳でした。
今まで取り上げた人物よりは少し年齢が上ですが、それでも30代で国を動かす存在になっているのはやはりすごいと思います。
特に明治維新に関わる人々は年齢が驚くほど若いように思います。日本が外国からの脅威を受け、変わらなくてはいけない時期だからこそ精神も早熟だったのかもしれませんね。
それにしても若い時に偉業を成し遂げる人物の頭の中、覗いてみたいものです。
(xiao)
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