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【 古典を愉しむ 】第4回:なぜ井伊直政は「主役」になれないのか

歴史研究家・乃至政彦氏がテーマにゆかりのある古典を紹介するシリーズ。第4回は、大河ドラマ「おんな城主 直虎」での活躍も話題の井伊直政を、菊池寛の小説『小田原陣』やゲームなどから、なぜか主役になれない?直政の実像に迫ります。

井伊直政
(彦根城博物館蔵)

井伊直政は、意外と物語の主人公にしづらいキャラクターであるらしい。平成になってからは主人公の位置付けを得た小説もあらわれたが、それでもまだ遠慮気味な雰囲気がある。海音寺潮五郎司馬遼太郎も大きく扱っていないし、今年の大河でも活躍はしているものの、あくまで主役は「おんな城主」である。

また、「井伊一族」といえば「直弼」(ネット書店で二人の名前の検索結果数を比較すれば一目瞭然だ)であり、「彦根城」といえば「ひこにゃん」である。武田以来の「赤備え」にしても正統継承したのは直政だが、世間では「真田信繁」(幸村)のほうが知られている。

歴史ゲームでも『戦国無双4-II』を除いてクローズアップされたことはほぼ皆無で、本作においてもストーリー面では付け足しの印象が強い(実際この作品自体、「4」の続編という位置付けである)。物語の世界における直政は、徳川家康あっての直政、島津豊久あっての立場に置かれ、誰かとの絡みなしにはキャラクターとして成立しないかのようだ。

なぜ、主役になれないのか?

その兆候は早くからあったといえる。たとえば、菊池寛の古典小説『小田原陣』では、このような出番を与えられている。

亦(また)此(こ)の陣で、関白が僅(わず)か十四五騎ばかりで居たことがある。井伊直政は今こそ秀吉を討ち取る好機だと、家康に耳語したところ、「自分を頼み切って居るのに、籠の鳥を殺すような酷いことは出来ない。天下をとるのは運命であって、畢竟人力の及ぶ所でない」と、たしなめたと云う。(菊池寛『小田原陣』より)

天正18年(1590)、関ヶ原・山中合戦などでしられる慶長の乱が勃発する10年前のこと。まだ元気な豊臣秀吉は自分に忠実ではない大名を一掃するため、見せしめに相模北条家の居城小田原を攻めた。このとき日本中の軍勢が集められたが、秀吉は少数で徳川軍の付近をうろつくことがあった。井伊直政はこれを絶好の好機とみて、家康に「秀吉を討ち取りましょう」と密かに献言した。

しかし家康はそれを秀吉の得意技であることを見抜いていた。この男は、しばしば自らを討ち取る覚悟を問うかのように、敵対者や中立者の前へと無防備に姿をあらわした。秀吉を討ち取れば、確かに何かしらの鬱憤は晴らせよう。目の上のたんこぶも払えよう。しかし、秀吉を失った天下はどうなる。また、「籠の鳥」を殺した側の名声は地に落ちるだろう。本能寺の変がいい例である。

菊池寛『小田原陣』
(青空文庫)

江戸時代から脇役のイメージが定着していた?

菊池寛が引いた挿話の出典元は、おそらく『常山紀談』であろう。戦国時代・慶長の乱の種本とされる軍談書で、ここに「井伊直政関白を討んと言れし事」と題する同じ内容の挿話が記載されている。『常山紀談』が書かれたのは江戸時代の明和7年(1770)ごろだが、この挿話における直政もまた、秀吉の大胆さ・老練さ、そして家康の慎重さ・経験豊富さを浮かび上がらせるためだけに登場している。すでにこのとき、現代に通じる直政のイメージがほぼ固まっていたようだ。主役より脇役にする方が映える人物だとされていたのだろう。

戦場では誰にも前を譲らない先陣の赤鬼として恐れられた直政だが、今日では「ひこにゃん」や「おんな城主」といった愛嬌のあるキャラクターに主役の座を奪われている。直政自身は偉大な人物だったが、物語という舞台においては常に一歩も二歩も譲っているのだ。きわめて不遇な立場におかれているといえるかもしれない。

だが、それがいいのではないだろうか。
直政というキャラクターは主人公である必要などないし、もとより直政は主人公めいた存在になどなろうとしていない。事実、史実の直政は主君からこの上なく厚遇されているからだ。

戦場では最前線に飛び出していた史実の直政

史実の直政は、合戦場では軍隊の指揮権を副将の木俣に預け、自身は戦場に飛び出る人物戦だったと言われている。武士にとって戦場は何よりの晴れ舞台だった。だが、直政はそこで喝采を浴びたいとか、末代までの武功を挙げたいとか考えていたわけではないらしい。ではなにを求めて最前線に飛び出していたのか。

小牧・長久手の戦いで、直政は初めて赤備えを率いて武功を挙げ、名を知られるようになる。
その勇猛な姿は「井伊の赤鬼」と称された。写真は長久手古戦場(愛知県長久手市)。

概観からの印象でいうと、直政は信念や大望あってのものではなく、別の情動に駆られているように思えてならない。新参者としての苦しい立場からの立身を望んでいた。井伊家は徳川家譜代の家臣ではない。自分の代になってようやく家康に属したばかりで、いわば外様のような立場であった。

人口に膾炙される直政の行動原理(抜け駆けを狙う姿など)は、新参者の立場を考慮すると、わかりやすいだろう。代々主家一途であることを自慢としてきた譜代の家臣団は、価値観のことなる若者が入ってきたことにあまりいい顔をしなかった。

直政関連の挿話は家康に忠実な勇将とするものが多いが、必ずしも家康の言うことを金科玉条とはしていない。まだ「万千代」と幼名で呼ばれるころ、敗軍した家康たちが神社の食料を接収するとき、直政ひとりはそれを食べようとしない。家康は「馬鹿者、飢えをしのげ」と叱りつけるが、直政は耳を貸さず、「わたし一人が踏み止まるので、そのあいだに逃げなされ」と強情を張ったという。清廉な人物像がうかがえる。

だが、ほかの挿話では、これを覆す人物像もうかがえる。周囲に内緒である青年武士と室内で過ごしているとき、家康が直政の部屋にあらわれた。すると直政はこれを隠し通して「今夜はお帰り下さい」と有無を言わせず家康を追い出している。主君に隠れてほかの男性と付き合っていたという落ちなのだから、これが書かれたとき、直政にはちゃっかり者の印象もあったのだろう。
そこには半端者の小才子のように、万人に認められたいわけではない、思い入れのある誰かに気に入られたいのでもない側面も読み取れる。

直政はバブル期のキャリアウーマン?

これら挿話から読み取れる直政の行動原理は、なんであろうか。個人的な雑感をざっくり言わせてもらえば、直政からはバブル期のキャリアウーマンを想起させられる。バブル期の女性は、男性社会のビジネス界で地位向上のため、戦わなければならず、外側だけではなく内側にも目を向けなければならなかった。周囲の価値観や慣習をできるだけ容れながらも、それらに流されず、判断力を固めておく。上司・同僚への配慮を尽くし、信頼を勝ち取りながら、肝心なところでおのれの意思を強気に押し通す。このときは上司・同僚からの反発も辞さないが、あとでしかるべき評価を受けやすい。

直政の目の前には、男性社会ならぬ三河者社会があった。徳川家康を中心とする大派閥である。一党独裁とは違うが、今川家からの独立、三河一向一揆、武田信玄との死闘を繰り広げた家康の家臣団には、強い自負と独特の連帯感があった。そこへ国境付近である井伊谷出身の直政があとから入り、どういう顔ができただろうか。直政は、徳川家に入るにあたり、父祖たちが代々味わってきた苦しい思いから脱することを考えただろう。信念や大望といった正義に向き合う夢想家では生き残れない。さりとて、上司と同僚に笑顔と妥協で向き合うという楽な道を取るつもりもなかったのではないだろうか。

酒井忠次(先求院蔵)、本多忠勝(良玄寺蔵)、榊原康政(文化庁蔵)。
のちに直政を加え「徳川四天王」となるが、彼らは直政より前から家康を支えてきた。

それはやはりバブル期の優秀なキャリアウーマンが重なって見えてしまう。いろんなものにあぐらをかいている男性たちが眼前の仕事に熱中して、女性社員には庶務を与えるだけで指導を怠っている。ここでキャリアウーマンたちは、おのれの手で自分と後続の居場所を築き上げた。この姿勢は直政にも通じるところがあるように見える。

立派すぎるせいで主役になれなかった直政

直政の人生を上っ面だけ見れば、単なるサクセス・ストーリーに受け止められよう。清く正しく美しく生きる。ちょっとしたずるいところもあるが、そしてあるとき、田舎のお殿様に気に入られ、その才覚を発揮する。そのお殿様が天下人になる。大名に取り立てられる。まったくのめでたしめでたしで、ほとんどシンデレラのようだ。
しかしそこには直政なりの試行錯誤があり、そしてその結果、自分個人が注目されるのではなく、家康一途の譜代家臣団のなか、存在感を埋没させることなく、文字通り自らの「城」を勝ち取っていったのだ。

関ヶ原合戦の功績により直政には、石田三成の居城であった佐和山城(滋賀県彦根市)が与えられる。
合戦後も戦後処理に奔走したが、慶長7年(1602)2月1日、合戦で受けた鉄砲傷がもとで、佐和山にて死去。(写真提供:びわこビジターズビューロー)

周辺から見れば、直政は立派でありすぎるせいで、褒めたり、どこに感情移入したらいいのかもわかりにくい。
こういう人物は物語を作る側にすれば、面白みがあるといえばあるが、大きな舞台の中心に置くには難しいのではないだろうか。単独で活躍させれば、すこし嫌味になる。有能で自己主張の強い人物がいい場面でいい格好をして、社会的に成功する創作物はあまり受けないからだ。

直政は譜代の三河武士に負けることなく、徳川家中の一員としておのれの身の置き所を築き上げた。その人生は、理念や野心によるライバルとのわかりやすい戦いではなく、地に足の着いた周辺との間合いを見つめる複雑で心理的な戦いが繰り広げられただろう。

そして、直政は自分ひとりでは何もつかめなかった。それは直政も、そして主君である家康もよく理解していた。直政の過去と今と将来をよく見通していた家康は、あとから入った武田の遺臣たちを小身の直政に与えて、「赤備え」を指揮する立場におかせた。直政もその期待に応えるべく、些細なことで一歩も引くことなく、徳川家のために死力を尽くした。直政の人生は家康によって輝いたのであり、主君を差し置いて、歴史の主役になるような望みは、特にもたなかったのではないだろうか。

多彩なキャラクターの脇にいて、泉下の直政がどんな顔をしているかは不明だが、「わしの戦場はそこではない」と笑っていてくれているものだと考えたい。


乃至政彦(ないし・まさひこ)
歴史研究家。単著に『上杉謙信の夢と野望』(ベストセラーズ、2017)、『戦国の陣形』(講談社現代新書、2016)、『戦国武将と男色』(洋泉社歴史新書y、2013)、歴史作家・伊東潤との共著に『関東戦国史と御館の乱』(洋泉社歴史新書y、2011)。監修に『別冊歴史REAL 図解!戦国の陣形』(洋泉社、2016)。テレビ出演『歴史秘話ヒストリア』『英雄たちの選択』など。

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