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【坂本龍馬に影響を与えた】明治維新の影の指南役・横井小楠

2018年は明治維新150周年。日本が近代化に向けて大きな変革を遂げた時代の、影の指南役といわれるのが横井小楠です。動乱の中の思想家として、坂本龍馬ら維新志士に影響を与え、勝海舟も認めた彼の、知られざる功績をご紹介します。

横井小楠

勝海舟も認めた実力者

横井小楠は文化6年(1809)、熊本藩士の次男として肥後国(現在の熊本県)に生まれました。
天保10年(1839)江戸に遊学、そこで水戸藩の学者で徳川斉昭の腹心でもあった藤田東湖など、さまざまな人々と出会い、見聞を広めます。翌年の帰藩後は実学を提唱し、実学党を結成。これは、学問を現実の役に立てようとするもので、この頃起草した『時務策』には、藩上層部の贅沢禁止や農村復興、特権商人と藩権力との引き離しが書かれており、藩政改革を目指していたことがうかがえます。

文化13年(1816)、横井小楠が8歳で入校した藩校・時習館。熊本城二の丸広場にその跡地がある。
小楠は居寮生となったのち、天保8年(1837)に時習館居寮長(塾長)となる。

天保14年(1843)には自宅で私塾を開き、これがのちに「小楠堂」となりました。門弟に徳富一敬がおり、この人は徳富蘇峰の父親です。他にも多くの門弟が学び、嘉永10年(1853)には吉田松陰も訪れ、3日間小楠と話し合っています。

安政2年(1855)に転居した自宅は「四時軒」と名づけ、坂本龍馬をはじめたくさんの志士がやってきました。また嘉永5年(1852)から文久3年(1863)まで、4回にわたり福井藩主・松平春嶽に招聘され、福井藩の政治顧問などを務めました。

この間の文久元年(1861)には江戸で勝海舟と交流しています。後年、勝は小楠について「おれは、今まで天下で恐ろしいものを2人見た。それは、横井小楠と西郷南洲(隆盛)だ」と語ったとされるほど、小楠を認めていました。

「船中八策」などの原案となった「国是七条」

文久2年(1862)、松平春嶽が幕府政事総裁となった頃。小楠は顧問として「国是七条」を作成して幕府に提出、徳川慶喜にも対面しています。

「国是七条」は参勤交代の廃止など幕政の改革、優れた人物の登用や広く意見を求める開かれた政治、海軍をつくることや貿易の幕府統括など、当時の欧米列強に対抗し、国を守るための現代にも通じる内容を持っていました。これがのち、坂本龍馬が表した「船中八策」、由利公正の「五箇条の御誓文」の原案になったといわれています。元治元年(1864)には、勝海舟に依頼された坂本龍馬が小楠のもとを訪れ、小楠は龍馬に「国是七条」を説いています。

福井城内堀公園にある横井小楠(右)と三岡八郎(後の由利公正)の像。

このように革新的な思想家だった小楠ですが、実はかなりの酒好き。酒癖の悪さも相当だったらしく、天保11年(1840)には酔って喧嘩し、藩から処分を受けています。禁酒を誓い謹慎していた小楠ですが、なんと神棚のお神酒を夜中にこっそり飲んでいたそうで……よっぽどお酒が好きだったんですね。

春嶽もかばいきれなかった「士道忘却事件」

小楠は文久2年(1862)に「士道忘却事件」を起こしてしまいます。
それは、熊本藩の江戸留守居役の吉田平之助の別邸で、小楠含め4人で酒宴をしていたときのこと。1人が帰ったのち、突然、3人の刺客が襲ってきたのです。小楠は階段を駆け下りて福井藩邸に行き、刀を持って戻るのですが、その時には刺客はすでに逃走。仲間は傷を負っていまい、のちに吉田は死亡してしまいます。

小楠は友人を見殺しにして逃げたとされ、士道忘却=武士にあるまじき振る舞いだと熊本藩で問題になりました。しかし福井藩は小楠をかばい、春嶽も嘆願を出します。そのため小楠は切腹にはなりませんでしたが、士籍剥奪、知行召し上げ、蟄居の処分となり、王政復古までの約3年間を四時軒で過ごすことになりました。

現在、四時軒と、その隣にある横井小楠記念館は、
2016年4月に発生した熊本地震の被害が大きく、現在は休館中。

坂本龍馬や井上毅、由利公正などそうそうたる顔ぶれが小楠のもとを訪れ、意見を交わしていたのはこの頃のことで、特に龍馬は3回も訪問しており「新しい政府ができる時先生の出番は来ますから、その時会いましょう」と語ったとされています。

新政府に参与として参加するも暗殺される

龍馬が言ったとおり、明治元年(1868)に新政府ができると、小楠は請われ参与として政府に出仕します。しかし明治2年(1869)1月5日、政府の近代化政策に反対する郷士らによって京都で暗殺されてしまいました。

熊本城のそばにある高橋公園には、横井小楠を中心に維新群像が立てられている。

小楠の教えを受けた弟子たちはその後、各方面で活躍します。明治29年(1896)、徳富蘇峰がロシアの文豪トルストイに会って小楠の話をすると、トルストイもその思想に大いに感銘を受けたということです。

暗殺されなければ明治政府でさらなる活躍をしたかもしれない横井小楠。明治維新を語るうえで、今一度、彼の功績を振り返ってみてはいかがでしょうか。

(編集部)

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