【 地獄と朝廷で究極のダブルワーク? 】 六道珍皇寺の井戸から地獄に通っていた小野篁の伝説

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【 地獄と朝廷で究極のダブルワーク? 】 六道珍皇寺の井戸から地獄に通っていた小野篁の伝説

延暦21(802)年に誕生し、詩人などとして活躍した小野篁(おののたかむら)。彼には地獄で閻魔大王に仕えていたという、ちょっと変わった伝説が残っています。このような地獄に関連した小野篁の伝説は、『今昔物語集』などさまざまな史料で見られます。地獄の役人としての小野篁、そして史実として伝えられている小野篁の姿を、それぞれご紹介しましょう。

閻魔大王に仕えていた?平安時代の役人「小野篁」

小野篁は地獄の役人であったという伝説が残っています。『江談抄(ごうだんしょう)』(12世紀に成立)という説話集には、閻魔庁の第二の冥官。後世の説話集である『三国伝記』(室町時代に成立)においては、閻魔王宮の第二の冥官であったと記されています。どちらにしても、小野篁は朝廷だけではなく、地獄の役人としての顔を持っていたということになりますね。

「小野篁が地獄へ通ったとされる井戸(六道珍皇寺)」

それでは小野篁はどうやって地獄へ行き来していたのか、と疑問に思うかもしれません。京都の東山にある六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)には、小野篁が地獄への通り道として使用していたという井戸が今も残っています。この六道珍皇寺はあの世への入口だとされてきた六道という場所に建てられています。平安京の東の墓所・鳥辺野に至る道筋に当たったので、あの世への入口といわれるようになったそうです。

なお、『今昔物語集』などに六道珍皇寺は小野篁が建立したという記録もあるのですが、実際のところ、開基は慶俊(きょうしゅん)という僧侶であったといいます。真言宗の開祖である空海の師に当たる人物です。

藤原良相らを蘇生させた篁の力

小野篁の地獄でのエピソードとして、興味深いものがあります。それは「蘇生」です。小野篁が、人を蘇らせたという記録がいくつかの史料でみられるのです。

「『前賢故実』より藤原良相」

例えば『今昔物語集』には、閻魔大王が小野篁の進言によって、右大臣・藤原良相(よしみ)の罪を許したという話があるのです。かつて罪を犯した小野篁が藤原良相に助けられていたので、地獄では小野篁が閻魔大王に藤原良相の罪を許してもらうよう、動いたといいます。

また、『江談抄』には、藤原高藤(たかふじ)という人物が実際に小野篁の手によって蘇ったという話も残っています。藤原良相のケースとは違って、現世で藤原高藤の手に触れて蘇生させていることにも注目ですね。

このように小野篁には人を蘇らせる力があった、という伝説が残っているのです。

マルチな才能を発揮し遣唐副使にも任命された

小野篁については、地獄の役人などさまざまな伝説が語り継がれていますが、実際のところ、どのような人物だったのでしょうか。

一般的に、小野篁は詩人や歌人などとして有名です。
「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」
『百人一首』に選ばれている歌を口ずさんだ方も多いのではないでしょうか?

「『百人一首』では官位を冠して参議篁」

一方で、承和年間(834~848年)に派遣された遣唐使の副使にも任命されています。このときの遣唐使は何度も航海に失敗しており、遣唐使船のトラブルなどをきっかけに最終的に篁が乗船を拒否したため、実際には中国へ渡ってはいません。

また、小野篁は画家としての才能にも恵まれていたようです。大化の改新などで有名な藤原鎌足の肖像画を描いていた、という説もあります。しかしながら、史実である可能性は低いそうなので、これも伝説といえるかもしれません。

小野篁が通った井戸が期間限定で特別公開

六道珍皇寺山門と門前「六道の辻」の碑

先述したように、六道珍皇寺には小野篁の地獄での伝説を語る上で重要な井戸が残っています。しかしながら、いつでも見られるというわけではなく、季節ごとの期間限定公開なのです。

その特別拝観が、来週2月10日~12日に開催される「冬の特別寺宝展」です。「冥土通いの井戸」と「黄泉がえりの井戸」のほか、小野篁像も拝観できますし、小野篁が表紙のオリジナルの朱印帳などもあるそうですよ。
地獄へと続く井戸が公開されている期間を狙って、六道珍皇寺へ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

「2017年 特別拝観~冬の特別寺宝展~」
開催日:2017年2月10日(金)~12日(日)
時間:午前9時30分~午後4時30分(受付終了)
※詳細はHPをご参照ください。
六道珍皇寺ホームページ http://www.rokudou.jp/

(オオハシケント)

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