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【旅から旅へ】ヨーロッパを駆け巡った偉大なる皇帝カルロス1世(カール5世)

【旅から旅へ】ヨーロッパを駆け巡った偉大なる皇帝カルロス1世(カール5世)

2018年3月にチャンネル銀河で日本初放送する歴史ドラマ「カルロス~聖なる帝国の覇者~」。スペイン王だけでなく、ヨーロッパ最大の勢力を有した神聖ローマ帝国皇帝としても君臨したカルロスを描いた同作品をより楽しむために、スペイン史著述家である西川和子氏に彼の生涯について解説してもらいました。

カルロス、スペインに入る

西暦1500年、フランドル地方のブルゴーニュ公国で、フェリペ(フィリップ)美公とフアナの間にカルロスは生まれました。もう一代遡ると祖父母はさらに豪華で、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世、ブルゴーニュ公女マリ、カスティーリャ女王イサベル、アラゴン王フェルナンドと、錚錚たるメンバーに囲まれていたのです。

フェリペ美公の妹である叔母マルガレーテのもと、フランドルの宮廷で伸び伸びと育っていたカルロスも17歳となり、祖父フェルナンド王の死去によって、スペイン国王カルロス1世としてスペインに入ってきました。とはいえ、スペイン語はひと言も話せず、ハプスブルク家の特徴である下顎が出ており、大勢のフランドルからの臣下を引き連れ、フランドルの楽士隊が大音響を響かせる中での入城でした。「この方が新しい王様か」と人々は驚きました。軍隊を率いて来るのはわかりますが、楽士隊まで率いてきたからです。

4年後、祖父マクシミリアン1世が死去したことで行われた神聖ローマ皇帝選挙では、マルガレーテの金銭的工面もあって勝利しました。カスティーリャ、アラゴン、ブルゴーニュ公国、ハプスブルク家のオーストリアに加えて、神聖ローマ帝国まで、ヨーロッパのかなりの部分はカルロスの支配となったのです。

ドラマ「カルロス~聖なる帝国の覇者~」より

音楽・絵画を好む

祖父マクシミリアン1世はウィーン少年合唱団の創設者であり、フランドルでは多声音楽も盛んに行われていました。カルロス自身もスピネッタやオルガンを弾き、一緒にスペインに来た姉レオノールはリュートの名手でもあったのです。叔母マルガレーテの教育が、芸術に親しむ姉弟にしたのでしょう。

絵にもぞっこん目が無く、祖父マクシミリアン1世は画家デューラーを庇護しましたが、カルロスのお気に入りはティツィアーノでした。代表作に「犬を連れたカール5世」という絵がありますが、これは、イタリアを訪れマントヴァに立ち寄った際に、ティツィアーノの描いた「犬を連れたマントヴァ公」の絵を見て、「私も犬を連れた肖像画が欲しい」とねだったものでした。

美しい妃「イサベル皇妃」を描いたのも、プロテスタントとの戦いに勝利した祈念碑的な「ミュールベルクの戦いのカール5世」を描いたのも、お気に入りのティツィアーノだったのです。しかし何度招いてもスペインを訪れようとはせず、仕方なく「宮廷伯」と「黄金拍車の騎士」の称号を与え、宮廷画家としたのでした。こうしてカルロスも、同時代のフランス王フランソワ1世やイングランド王ヘンリー8世とともに、様々な芸術を愛し、そして残したのです。

「ミュールベルクの戦いのカール5世」ティツィアーノ画

敵は三方向から

カルロスは、三方向からやってくる敵たちと戦うことになります。それは、フェルナンド王の時代から敵だったフランス、異教の国オスマン・トルコ、そしてキリスト教の異端であるプロテスタントでした。

フランス王フランソワ1世とは、実は神聖ローマ皇帝位を競った相手でもありましたが、20年以上に渡りイタリア領土を巡っての戦いが続きました。パヴィアの戦いでカルロス軍はフランソワ1世を捕虜にしましたが、その後、カルロスの姉レオノールとの結婚が成立し、和解となります。

カルロスは、気候、風土はもちろん、法律、社会制度、通貨、税も異なる様々な地域をまとめるために、カトリックでの統一を常に念頭に置いていましたが、スレイマン大帝率いるオスマン・トルコの西方進出により、大切なウィーンが一時的に包囲される事件が起きました。逆に、アフリカのチュニスを攻撃し、ここでイスラム軍の捕虜になっていたキリスト教徒たちを助け出すという輝かしい勝利も収めています。

プロテスタントとの戦いでは勝利もしましたが、アウグスブルクの和議により、プロテスタントの一部はカルロスの意に反して容認されました。

あちこちの敵と戦い続けましたが、勝ったり負けたりで、決定的に勝利したとも言えなかったのです。

オスマン帝国スレイマン1世はウィーンを包囲するなどカルロスの脅威となった

落とし子、フアン・デ・アウストリア

広い領土を統治するためにカルロスはヨーロッパ中を旅していましたが、不在中スペインを守っていたのが、イサベル皇妃と息子のフェリペでした。しかしイサベル皇妃が死去するとカルロスはスペインを離れることが多くなり、そんなときドイツで出会ったのが、歌姫バルバラでした。

彼女はカルロスの身の周りの世話をしながら、求めに応じて美しい歌声を響かせてくれたのです。戦いに明け暮れるカルロスが、ほっと一息つけるひとときだったのでしょう。ほどなく男子が生まれ、家臣の手で秘密裏に育てられました。このヘロニモと名付けられた子こそが、やがてオスマン・トルコとのレパントの海戦で、神聖同盟軍総司令官としてキリスト教国を奇跡の勝利に導いた、英雄フアン・デ・アウストリアだったのです。

英雄フアン・デ・アウストリア

最期は一介の修道士

1555年、トルデシーリャスでひっそりと暮らしていた母フアナが亡くなります。母の死で何かがぷっつりと切れたかのように、カルロスは退位を決断します。ブリュッセルで行われた退位式では、「カトリックを守るために、あらゆることをした。ドイツに9回、スペインに6回、イタリアに7回、ネーデルラントに10回、フランスに4回、イングランドに2回、アフリカに2回、その間、40回の遠征をし、地中海を通ったのが8回、大西洋に出たのが4回、旅から旅の人生だった。今からは墓を捜しにスペインに戻る」と述べています。

退位の後、スペインとネーデルラントは息子フェリペが、神聖ローマ帝国は弟フェルディナンドが継ぎ、フェルディナンドはオーストリア・ハプスブルクの祖となっていきます。

カルロスには若い頃から隠遁傾向があったのですが、最期の住まいは、スペインの寒村ユステの修道院でした。部屋数も少なく、臣下たちは近くの村に住み、毎日小さな修道院へ通勤しました。カルロスは「修道士」だというのに、腕のよい料理人、ケーキ職人、音楽家たちを抱え、また、大好きな時計の分解修理のための技術者も連れ、痛風の持病に苦しみながらもビールを大量に飲み続けたといいます。そして、その豪放な性格で常に人から愛されながら、旅から旅の58年の生涯を静かに閉じたのです。

西川和子
スペイン史著述家。著書に『スペイン宮廷画物語』『狂女王フアナ』『スペイン フェリペ二世の生涯』『宮廷人 ベラスケス物語』『スペイン レコンキスタ時代の王たち』などがある。

スペイン歴史ドラマ「カルロス~聖なる帝国の覇者~」

放送日:2018年3月5日(月)日本初放送スタート 月-金 深夜1:00~
番組ページ:https://www.ch-ginga.jp/feature/carlos/

 

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