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【坂本龍馬の家紋とは?】悲劇の紋とされる桔梗紋と使用した有名人

【坂本龍馬の家紋とは?】悲劇の紋とされる桔梗紋と使用した有名人

家紋は古くからその人の家系や家柄などを表すために使用されてきました。日本固有の文化ともいえる家紋は、その数5000以上あるといわれています。歴史上では特徴的な家紋を使用していた人物がいますが、坂本龍馬もその一人です。龍馬の使用していた桔梗紋は“悲劇の紋”と呼ばれています。

今回は、なぜ桔梗門が悲劇の紋と呼ばれているのか、同じ家紋を使用していた人物も交えて解説します。

坂本龍馬の家紋について

組あい角に桔梗紋
「組あい角に桔梗紋」。特徴的な紋なので、坂本龍馬の家紋として有名です。

龍馬が実際に使用していた家紋は、「組あい角に桔梗紋」というものです。皆さんもご存じのこの家紋は、坂本家6代目の八郎兵衛直益の妻・さわのお墓から確認されました。もとは読んで字の如く丸の中に田の字が書かれた「丸に田紋」という家紋を使用していましたが、直益の長男・直海が分家して武家の坂本家ができたため、その際に家紋を新しくしたのではないかと考えられています。直海は龍馬の曽祖父にあたる人物です。

明智光秀の子孫で明智家の桔梗紋を使用したという説もありますが、真偽のほどはわかりません。桔梗紋はもともと清和源氏流土岐氏の家紋で、その流れを継ぐ家で使用されることが多く、さまざまな人物がこの紋を使用しています。龍馬が使用した「組あい角に桔梗紋」はその中でも特に目立つ紋ですね。

桔梗紋が悲劇の紋とされる理由

桔梗の花
桔梗紋はこの花がモチーフになっています。

桔梗の花が描かれた桔梗紋は一見して可愛らしい印象を受けますが、この家紋を使用していた偉人たちは悲劇的な運命を辿ることが多かったようです。“悲劇の紋”の由来はこの悲しい共通点にありました。

坂本龍馬の非業の死

龍馬は土佐藩を脱藩後、貿易商社・亀山社中(後の海援隊)を結成して薩摩藩と長州藩の間を取り持ったり、大政奉還の成立に尽くしたりするなど、多くの功績を残しました。さまざまなメディアで取り上げられていますし、彼の名前を知らない人はいないといえるほど有名ですよね。

明治維新に大きな影響を与えた龍馬でしたが、その最期は周知のとおり悲惨なもので、京都の旅宿・近江屋にて同志の中岡慎太郎とともに暗殺されてしまいます。中岡はその後2日間生き延びましたが、龍馬は即死でした。
志半ばで暗殺された龍馬は無念だったことでしょう。

明智光秀の「三日天下」

明智光秀の桔梗紋
明智光秀も桔梗紋を背負っていました。

戦乱の世につきものなのが下剋上ですが、その中でも一番有名なエピソードを持つのが明智光秀でしょう。光秀は織田家の重臣でしたが、本能寺で主君・織田信長を襲撃します。「本能寺の変」と呼ばれるこの事件はあまりにも有名ですよね。

当時の信長は絶大な力を持っていたため、天下人に最も近い存在でした。その信長を討ったのですから、光秀は一時的に天下を取ったといえます。しかしその後、光秀の謀反を知った羽柴秀吉から攻撃され大敗。落ち延びようとする際に小栗栖で殺害されてしまいます。光秀が天下を取った期間は本能寺の変からわずか11日間といわれており、あまりにも短いこの治世は“三日天下”と呼ばれました。

三日天下の原因の一つに、秀吉との戦いの際に味方として頼った武将らが動かなかったという点が挙げられます。自分の主を裏切り、謀反を起こした光秀は、自らも裏切られたというわけです。桔梗紋を背負っていた光秀は、正に悲劇的な最期を遂げたといえるでしょう。

桔梗紋を使用していた人は多い?

桔梗紋はその後も歴史上の人物から現代の有名人にまで幅広く使用されています。ここからは、歴史上ではどんな人物が桔梗紋を使っていたのか、その一部をご紹介します。

加藤清正

加藤清正は安土桃山から江戸時代初期の武将です。もともとは羽柴秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の戦いでは七本槍の一人としてその名を馳せました。秀吉の死後は徳川家康に近づき、関ヶ原の戦いで東軍として活躍します。その功績により肥後と豊後の一部を与えられた清正は、熊本藩の初代藩主となりました。

徳川・豊臣の和解の一端を担うなど天下人に信頼された清正ですが、病気で口がきけなくなり、回復しないまま急死したといいます。病気については梅毒、腎虚、癩病、ハンセン病と諸説ありますが、一方で毒殺説も囁かれているようです。

大村益次郎

丸に桔梗
大村益次郎の家紋は、「丸に桔梗」です。

大村益次郎は幕末期に活躍した長州藩出身の医師・兵学者で、維新の十傑の一人としても有名です。長州征討では軍事指導者として長州藩兵を指揮し、戊辰戦争では参謀として軍を勝利に導きました。軍を統括する兵部省では初代次官として尽力し、日本陸軍の創始者といわれていることから、靖国神社の参道には銅像も建てられています。

明治政府で軍制改革を進めていた大村は、軍事施設の視察のため京阪方面に訪問した際、守旧派からの襲撃を受けました。京阪では大村が進める新軍建設に不満をもつ士族たちに大村を襲わせるという噂が広まっていたため、木戸孝允らは大村の出張に反対したのですが、それを押し切って向かった先での出来事でした。この時の傷により敗血症を患った大村は、治療や手術を受けたものの容態が悪化し、この世を去っています。

家紋は知ると面白い!

桔梗の紋を背負ったからなのか、それとも偶然なのか、桔梗紋を使用していた偉人たちには確かに悲劇の最期を迎えた人が少なくないようです。この他にも日本には多くの家紋があり、自分のルーツを探るのにも有効な手段となっています。皆さんもぜひ一度、ご自身の家紋やルーツを探ってみませんか。新しい発見があるかもしれませんよ。

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