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2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』は、幕末の長州藩が舞台。その長州(山口県)の礎を作った人物といえば、戦国大名の毛利元就(もうり もとなり)である。
彼が好んでいた食べ物と伝わるのが「餅」(もち)だ。1555年、厳島(いつくしま)の戦いのとき、兵糧として餅袋・焼飯・米袋の3つを腰に結びつけて出陣したという記録がある(陰徳太平記)。
当時、合戦に持って行く兵糧といえば握り飯(おにぎり)が連想されがちだが、餅もまた兵糧の定番であり、陣中食として愛用されていたようだ。
戦場に持参すれば3日目ぐらいまではそのままでも食べられるし、少し硬くなっても火であぶれば焼餅として食せる。
蜂蜜などで加糖すれば硬くなりにくいから、「おにぎり」よりも保存が利く。元就は餅を推奨したというが、こうした利点からもうなずける話だ。
彼は合戦のときだけでなく、日ごろから餅を好んだようだ。こんな逸話がある。
元就は、家臣が会いに来るとき必ず酒と餅の両方を用意させておいた。そして対面すると、「お前は酒が好きか?それとも下戸(げこ)か?」と聞き、相手が酒好きと答えると「そうか。酒は寒い陣中でも身体を温めてくれる。酒ほどすぐに思いつくような重要な物はないな。わしは下戸であまり飲めないが、お前は飲みなさい」と言って酒を持って来させ、相手に注いでやった。
逆に「飲めません」と相手が答えると、「そうか。実はわしも下戸だ。酒を飲むと人は怒りっぽくなり、つい余計なことを言ったりする。酒ほど悪い物はないな。ではこれを食べよう」と、餅を出して食べさせた。
元就は身分の高い者から低い者まで、分け隔てなくこのように対応したので、皆たいそう感激したという。
巧みに人心をつかみ、当時としては長寿の75歳まで生きて中国地方平定を成し遂げた元就。その偉業の陰に餅があった、といっても過言ではなさそうだ。
磯辺焼き、雑煮などで餅を召し上がる機会も多いと思うが、美味しいからといって食べ過ぎにはくれぐれもご用心を……。
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