歴人マガジン

第11回「高杉晋作が坂本龍馬に贈ったピストルとは!」【歴史作家・山村竜也の「 風雲!幕末維新伝 」】


幕末維新の志士や事件の知られざる真実に迫る連載「風雲!幕末維新伝」。第11回のテーマは「高杉晋作が坂本龍馬に贈ったピストル」です。

寺田屋で龍馬を救ったピストル

慶応2年(1866)1月23日深夜、伏見の船宿・寺田屋で土佐の坂本龍馬が襲撃されました。幸いに龍馬は負傷しながらも脱出に成功し、以後も志士として活動を続けることができました。

現在の寺田屋の隣に立つ坂本龍馬像

この寺田屋襲撃事件の際、龍馬の危機を救ったのは、恋人のお龍が伏見奉行所の手勢が押し寄せたことをいち早く通報したこと。そしてもう一つ、龍馬のふところに最新式の武器がしのばせてあり、それが威力を発揮したことでした。

その武器とは、当時まだ日本人のほとんどが見たこともなかった飛び道具――ピストルです。龍馬自身もこの直前までは所持していなかったピストルを、運よく手に入れていたために寺田屋で九死に一生を得ることができたのでした。

龍馬はこのピストルを、どのようにして入手したのでしょうか。その答えは、龍馬自身の手紙に書かれています。

「かの高杉より送られ候ビストールをもって打ち払い――」
(慶応2年2月6日付・木戸孝允あて龍馬書簡)

ピストルは長州藩士・高杉晋作から贈られたものだったのです。龍馬の命を、もう一人の幕末の英雄・高杉がピストルを贈って救うという、まるでドラマのように劇的な話があったことには驚かざるをえません。

龍馬にピストルを贈った高杉晋作

寺田屋襲撃事件の直前、1月上旬に龍馬は長州で高杉と会っています。文久2年(1862)11月に一度会っているので、このときが二度目の対面です。

3年ぶりに高杉と会った龍馬は、薩摩と長州の手を組ませるために京都に向かうところでした。長州のためにあえて危険な京都に入り、薩長同盟に尽くそうとしている龍馬に対し、せめて護身用に役立ててほしいと高杉はピストルを渡したのでしょう。
そんな高杉の危惧が的中し、龍馬は伏見で襲われましたが、ピストルのおかげで命が助かったのは幸いなことでした。

スミス&ウエッソンNo.2だったのか

龍馬が事件当日に使ったピストルは、アメリカのスミス&ウエッソン社が製造した「スミス&ウエッソンNo.2」だったといわれています。1857年(安政4年)に作られた「No.1」の改良型として、1861年(文久元年)に開発されたものです。

スミス&ウエッソン№2のレプリカ

しかし、実はこの日龍馬がそれを持っていたという証拠はありません。なぜなら、龍馬は寺田屋で捕り方と格闘した際、ピストルを捨てて逃走しているからです。
弾丸を込めようとしたときに回転弾倉を床に落としてしまい、見つからなくなった龍馬は、

「それより銃を捨て――」
(慶応2年12月4日付・坂本権平一同あて書簡)

と書いています。高杉から贈られたピストルはこの時点で紛失し、以後龍馬のもとに戻ってくることはありませんでした。

したがって、龍馬がこの日使用したピストルの型が何であったのかは、いまとなってはわからなくなってしまったのです。

型を推定する手がかりはあります。高杉が文久2年(1862)5月に幕府の視察団に加わって清(中国)の上海に渡り、現地でピストルを購入した記録が残されているのです。

「6月8日(略)午後蘭館に至る。短銃及び地図を求む」
「6月16日、晴、中牟田(倉之助・佐賀藩士)と外行し米利堅人の店に至る。七穴銃を求む」

これは高杉が現地での出来事を記した『上海掩留日録』の一節で、二丁のピストルを購入したことが明記されています。6月8日のほうはオランダ領事館で買ったのかどうか、少しわかりにくい表現になっていますが、16日の記事には大きなヒントが盛り込まれています。

この日高杉は、アメリカ人の店でアメリカ製の装弾数7発のリボルバー(回転式拳銃)を購入したのです。当時、スミス&ウエッソン社はリボルバーの分野で圧倒的なシェアを誇っていたので、高杉の買ったものも同社製とみてほぼ間違いありません。

ただ、装弾数が7発であれば、それに該当するのは前述した「No.1」ということになります。「No.2」は6発でした。したがって高杉が上海で購入したピストルは、「スミス&ウエッソンNo.1」であったことがほぼ確実といっていいでしょう。

もっとも8日にオランダ領事館で購入したらしきピストルのほうは、メーカーや型が不明のままなので、それが「No.2」であった可能性もないではありません。

行方不明になった龍馬の遺品

そこで龍馬のほうの記録を見てみると、前掲した権平一同あての手紙にこう記されています。

「そのまま大小を指し六連砲を取りて――」
「右銃は元より六丸込ミなれども、その時は五丸のミ込めてあれば、実ニあと一発限りとなり――」

龍馬が使ったピストルの装弾数は6発だったのです。であれば高杉が上海で買った「スミス&ウエッソンNo.1」ではなく、別の日に買ったであろう「No.2」ということになります。あるいは、上海で買ったものではなく、帰国してから何らかの方法で手に入れたものという可能性も考えられます。

いずれにしても、龍馬が寺田屋で紛失してしまっている以上、確定的なことは何もいえないという状況には変わりありません。

そんななかで、龍馬がどのようなピストルを持っていたかを伝える記録が一つだけありました。それは、寺田屋襲撃から約2年後、慶応3年(1867)11月15日に龍馬が京都近江屋で暗殺されたとき、その遺品のなかに一丁のピストルがあったのです。

坂本龍馬の遺品(『雋傑坂本龍馬』より)

これは昭和2年に刊行された龍馬の伝記『雋傑坂本龍馬』に収録された写真ですが、暗殺された龍馬の遺品として、愛刀の陸奧守吉行などとともに確かにピストルが写っています。吉行の鞘が破損していることからも、遺品の写真に間違いはないでしょう。

そして、ここに写っているピストルは、まぎれもなく「スミス&ウエッソンNo.2」です。龍馬は、寺田屋でピストルを失ったあと、再度ピストルを入手し、少なくともそれがスミス&ウエッソンNo.2だったということになります。

残念ながらこの写真の現物は残されておらず、遺品類も散逸してしまいました。龍馬が使ったNo.2も、いまではどこに行ったのか行方はわかりません。しかし、遺品の写真が撮られていたおかげで、龍馬が持っていたピストルをかろうじて知ることができました。実物が残っていない以上、私たちにとってはそれだけでも幸いだったと思えるのです。

 

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