明治維新を経て、近代国家への仲間入りを果たした日本。
しかし当時は欧米の列強が武力によりアジア各国へ進出してきた時代背景もあり、日本もその脅威にさらされたことが、明治維新の原動力にもなっていたと言えるでしょう。
それまで重工業という産業がなかった日本にとって、武器である大砲や鉄砲を量産するために大量の鉄を製造する金属を溶かす「反射炉」が、幕府の威信をかけた国家プロジェクトとして必要とされました。
江戸時代末期の天保11年(1840年)、伊豆国・韮山の代官を務めていた江川英龍によって、「韮山反射炉」の建造が上申。
13年後の嘉永6年(1853年)、ペリー提督率いる黒船が来航して、いよいよ欧米列強の脅威が迫ったため、幕府は近代工業の礎となる反射炉の建造を決定しました。
当初、反射炉は、伊豆下田に建造される予定だったが、下田港に入港したペリー艦隊の水兵が建造中の反射炉敷地内に侵入する事件が起きたため、秘密保持の観点から場所を──北条政子が生まれた土地でもある──韮山に変更して建造が進められました。
しかし途中、江川英龍が病死したため、韮山代官は嫡子の江川英敏に変わり、実に上申から17年も経った安政4年(1857年)に完成。
当時の最先端技術の粋を集めた工場だったわけですね。
この「韮山反射炉」について詳しく説明されている「伊豆の国市」のオフィシャルサイトには、この韮山反射炉の全容が分かるCGアニメが載っていましたので、そちらを転載します。
こうして見ると、千数百度の熱で鉄を溶かし、それを鋳型に流し込んでいろいろなものを造る製鉄技術が、いかに当時の技術で大変だったかよくわかります。
なんたって大砲の砲身に穴を開けるのは水車を使って1ヶ月もかかるっていうんだから凄いです。
一部のブラウザでご覧になれない方はこちらからどうぞ→https://www.youtube.com/watch?v=h_a4ySVqllo#t=127
幕末には、鉄砲や大砲を用いた近代戦のために、佐賀藩や薩摩藩など日本各地に反射炉が作られたのですが、現在はそのほとんどが消失していて、当時の姿のまま残っているのは、山口県の「萩反射炉」と伊豆の「韮山反射炉」だけであり、両者とも国の史跡に指定されています。
しかもなんとこの韮山反射炉は、昨日7月5日に、ドイツのボンで開かれた第39回世界遺産委員会で、ユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されたそうです。関係者のみなさん、おめでとうございます!
韮山反射炉は、実際に稼働して大砲を鋳造した反射炉が現存している点で非常に貴重な文化遺産であり、日本の近代化の歴史の1ページ。
韮山代官を務めた江川親子は、先見の明があり、日本の近代化に尽力した人物と言えるでしょう。
現・伊豆の国市韮山には、韮山代官を務めた江川家の邸宅が現存しているそうですよ!運良く天気がよければ、遠くに富士山を望み、世界遺産が二つも入った写真が撮れます。
アクセスは車以外でも、伊豆長岡駅からシャトルバスが無料で運行しているので、気軽に行くことが可能。
伊豆におでかけの際には、幕末、日本の侍たちが必死に近代国家を目指した姿が偲ばれる「韮山反射炉」を行き先候補の一つとして考えてみてくださいね。
副編集長Y
参照元:
「国指定史跡 韮山反射炉」オフィシャルサイト
韮山反射炉 – Wikipedia
江川英龍 – Wikipedia
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