昨年の大河ドラマ『花燃ゆ』で、吉田松陰(伊勢谷友介)が大福(だいふく)餅を食べるシーンがあった。同志の小田村伊之助(大沢たかお)にも勧め、一緒に頬張る姿は微笑ましいものだったが、ご覧になられただろうか?
実はあれ、ドラマの創作というわけではない。吉田松陰の好物が大福餅であったことは、松陰先生の思想や私生活を記した研究本『松陰余話』という書物に書かれている。
松陰は江戸に遊学中、質素倹約に努めた。『費用録』という家計簿のようなものを小まめに記していたが、それによれば食生活は質素の極みだ。
外食は金がかかるので、もってのほか。江戸の長州藩邸で、飯だけは炊いてもらい、それを味噌と梅干しだけで食べた。たまに鰹節がつく程度で、しかも常に腹八分目を心がけていたという。
なぜこんなに節約していたのかといえば、少しでも多くの書物を買うためだ。江戸時代は本が高価だった。当時は印刷技術が乏しいから作るのに手間がかかり、1冊あたり4~5000円ぐらいしたという。
そのうえ酒も飲まず、タバコも吸わなかった。まさに、ストイックそのものである。
そんな松陰にも、唯一の楽しみがあった。それが「大福」である。時折購入しては勉強の合間に食べ、その習慣だけはやめられなかったという。当時の値段は1個4文(70円ぐらい)と今より少し安めか。
大福の始まりは、室町後期の終わりごろ。当時は鶉餅(うずらもち)というもので、鳥をかたどった餅の中に、小豆に塩を混ぜた塩餡(あん)が入っていた。
砂糖が日本国内に普及し始めた18世紀(1700年代)以降に、今のような甘い餡になった。江戸の小石川(千代田区)、中橋広小路(中央区八重洲)あたりの屋台で売られたのが始まりという。
腹持ちがいいので、腹太餅(はらぶともち)、大「腹」餅(だいふくもち)と呼ばれるようになり、形も丸くなって、縁起のいい「大福」餅と変化した。
冬の寒い夜、屋台では火鉢で焼いた温かいものが売られたそうだ。なんとも美味しそうで、書いているだけで食べたくなってくるではないか。
ふぐを食べることにも反対したように、己を厳しく律した松陰。甘い大福は、さぞや彼の心を慰めてくれたに違いない。