僕も歴史が好きなもので、結構幕末人の墓に行くことがある。その中でも不思議なパワーを感じる人物の墓がある。印象的だったのが前回コラムで書いた清河と、今回の吉村寅太郎。吉村は幕末の志士が多く眠っている、京都の霊山にいる。
その人生の無念さからなのか、強烈なエネルギーをその墓から感じた。「俺をもっと知ってほしい」、そんな風に僕は感じたのだった。
そんな吉村も清河と同様、武士ではない。
この吉村が生まれた土佐藩(現在の高知県)というのがまた複雑で、武士の中でも「上士」と「郷士」に身分が分かれていた。この「郷士」階級は「上士」に虐げられていて、殿様である山内家に対しての忠誠心が低い。では身分の低い者たちが持った思想はなんだったのであろうか?
それがー
吉村は郷士よりもさらに身分の低い庄屋階級だったので、尊王の志が強かった。そして元来頭の切れる行動派だったので、仕事もできた。
そんな中、郷士階級のカリスマだった武市半平太という男が主宰する団体に参加する。
ここで吉村はその才能をリーダーの武市に認められ、すぐに頭角を現す。あの坂本龍馬ともこの団体を通じて仲良くなった。しかしすぐに吉村は土佐勤王党と袂を分ち、脱藩する。理由は武市があくまで土佐藩を主体にして、尊王攘夷運動を仕掛けようということに反対したためだった。そして薩摩藩が軍隊を率い京都に上洛して、幕府に尊王攘夷を迫るかもという情報をキャッチしたからだった。
「いてもたってもいられん!龍馬、俺は脱藩して京都に行く。お前も後で来い!」
あの龍馬も、「吉村はスゴい」と認めた男だった。
しかし結局、薩摩藩は京都に行きはしたが、幕府に対して強い意見などはせず、過激派と保守派に分かれた薩摩藩士同士で斬り合う「寺田屋事件」が勃発。吉村もそこにいた。
結果、吉村は土佐に送り返され牢に入れられる。しかし彼は諦めない。
釈放後、再び京都に出て公家を抱き込み、「天誅組」を創って奈良で挙兵。尊王の志から「倒幕」へと舵を切る。しかし時勢は吉村に味方せず、幕府軍に攻められ壮絶な最期を遂げる。26歳だった。
後世から吉村の人生を眺めると、「倒幕」の旗を揚げたのがあまりにも早く感じるかもしれない。まだ機は熟していなく、ただの暴発と云ってもいい。しかし吉村が点火した火種はしっかりと受け継がれ、結果幕府は倒れることになる。
最後に吉村の辞世の句を。激しくて僕は好きだ。
【プロフィール】
渡部麗(わたなべりょう)
歴史クリエイター。
東京・御茶ノ水で歴史コミュニケーションメディア「レキシズル」を主宰。所有しているショットバーの水曜日を「レキシズルバー」として開放。歴史好きの交流を活性化しながら、畳敷きのイベントスペース「レキシズルスペース」で歴史をポップにわかりやすくプレゼンする「TERAKOYA」などを開催。
「レキシズル」オフィシャルサイト
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