【 白虎隊も訓練した!】日本最古のプールがある會津藩校 日新館

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夏になると、プールに入りたくなりますよね!
歴史でいうプールの始まり、日本でプールが初めてできたのは、いつ頃なのでしょうか?
日本最古のプールは会津藩の藩校「日新館」(福島県会津若松市)と言われています。
日新館は1803(享和3)年に建設され、その中の施設に「水練場」、つまり水泳プールがありました。
今回は、「日本最古のプール」とはどのようなものだったのか、
また当時日新館で行われていた教育について、またその精神が現在にどのように伝わっているかなどもご紹介します。

会津の名門藩校・日新館

日新館とは、人材の育成を目的に1803年に建設された会津の藩校で、会津藩における最高学府であり、多くの優秀な人材を輩出した全国屈指の名門藩校でありました。

1868(慶応4)年、鳥羽伏見の戦いの後、会津藩では軍制をフランス式に変更、玄武隊、青龍隊、朱雀隊、白虎隊という年齢による組織に改め、力を注ぎました。

当時、藩士の子弟は10歳になると日新館に入学する決まりになっており、白虎隊たちもこの日新館で学んだ16〜17歳の少年たちで編成されていました。

白虎隊も学んだ日新館

若いことで、戦闘に出る予定はなかった白虎隊ですが、戊辰戦争が始まり、戦場が会津に移ると、当時の藩主であり京都守護代でもあった松平容保は、白虎隊の出陣命令を下します。戸ノ口原の戦いに敗れた白虎士中二番隊が、炎に包まれた鶴ヶ島を眺めながら、飯森山で壮絶な最期を遂げたことは、幕末好きなら知らない人はいないでしょう。

出身者には、新島八重の実兄・山本覚馬や白虎隊の少年達をはじめ、多くの優秀な人材を輩出。覚馬はのちに、この日新館で蘭学の教授も務めました。

日新館はその後、戊辰戦争の激化に伴い閉鎖、臨時病院として使用されるようになりました。

気持ちいいより大変? 最古のプールでの訓練

日新館に入学した少年たちは、学問や武道に励み、心身の鍛錬に努めました。

生徒数は1000〜1300人ほど。授業は朝の8時から始まり、素読の教科書は論語、四書五経など中国の古典を使用。約8千坪の敷地に武道場や天文台、そして日本最古のプールといわれる水練水馬池などがありました。

当時の泳法は「向井流」という、鎧と甲を身にまとい水連を行っていたと言われています。

「向井流」とは日本泳法のひとつで、江戸初期、現在の海軍にあたる幕府の御船手組の組頭であった向井正綱が創始とされます。敵前泳法として発展し、その後水練としての泳法も加えられました。会津藩は1810(文化7)年、幕命により江戸湾警備に就いた際「向井流」を習得しました。

大人でも大変であろう訓練を、少年ならなおさらだったと思いますが、最近の小学校の水泳の授業でも、衣類を着たまま水に入ることで、万が一水難にあっても慌てず対処できるための「着衣水泳」もあるので、現在も「向井流」は息づいているのかもしれません。

当時、水連水馬池があった場所は、現在は日新館スイミングスクールとして施設になっていることも、縁を感じます。

当時が忠実に再現された日新館に行こう

当時の施設を忠実に復元された現在の日新館では、壮大な江戸建築や当時の学習の様子を観覧できるほか、弓道や座禅などの各種武士道体験や、会津の縁起物「赤べこ」などの絵付け体験も楽しめます。

水練水馬池は現在、鯉が泳いでいるようですが・・・眺めるだけでも涼しいかも? 最古のプールを見に、日新館に出かけて見ませんか?

参照元:「會津藩校 日新館」

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