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【 島津最強伝説の秘密!?】 圧倒的な強さを誇る軍団を育てた島津日新斎とは?

【 島津最強伝説の秘密!?】 圧倒的な強さを誇る軍団を育てた島津日新斎とは?

戦国期、薩摩の島津氏は特異な家柄でエピソードも多く、話題にはことかきません。とくに、釣り野伏捨てがまりなどの必殺の戦法を駆使して、寡兵で大軍を破る島津軍団の圧倒的な強さには驚かされます。慶長の役における韓人をして、「鬼石曼子(おにしまず)」と呼ばせたその強さの秘密とは何だったのでしょうか?

天正期、島津氏は強力な軍事力を有して南九州三州を統一、天正6年(1578年)には耳川の戦いで九州最大勢力の大友氏を屠り、天正12年(1584年)の沖田畷の戦いでは北部九州の雄、龍造寺氏を討ち、破竹の勢いで九州全域をほぼ手中にします。秀吉による九州征伐、関ヶ原の戦いなどで勢力を削がれますが、そのエネルギーと存在感で、江戸期を通じて日本有数の雄藩を形成します。

島津家は尚武の家柄として知られ、歴代当主には有能な人材が育ち、家臣団は常に強力な軍団を組織しています。
また、幕末には多くの勤皇の志士を輩出、明治維新の原動力ともなっています。それらの背景には島津独特の思想規範があり、その原点には島津隆盛の基盤を築いた戦国期のリーダー「島津日新斎(じっしんさい)」の存在があるといわれます。(※日新斎は忠良の入道以降の号ですが、ここでは日新斎で統一)

島津隆盛の原点、島津中興の祖と称えられる島津日新斎の存在

島津忠良

島津忠良

戦国初期、薩摩の守護職・島津氏は政権基盤が弱く、国内は一族や国人が乱立して相い争う状態でした。
そんな中、分家である伊作家の日新斎(忠良、1492年~1568年)は伊作家、相州家を併せて領し、勢力を誇っていました。
守護の島津忠兼は日新斎に支援を求め、やがて日新斎は国政を任されるまでに力を蓄えます。そして、嫡男の貴久を島津忠兼の養嗣子とし、守護家を継がせて薩摩国主とします。

また、日新斎は琉球を通じた明貿易を行い、鉄砲を大量購入、強力な家臣団を育成します。
以降、薩摩平定戦では日本で最初に鉄砲を実戦使用したといわれ、のちの島津家の必殺技となる釣り野伏などの戦術、戦略を駆使して奮戦させます。そして、日新斎は架橋事業や城下町整備をすすめ、養蚕などの産業を興して仁政を敷き、島津家中興の祖と称えられています。

島津氏の居城、鶴丸城

島津氏の居城、鶴丸城

日新斎を原点とする島津四兄弟最強伝説、九州制覇のストーリー

日新斎の嫡男、島津貴久は守護の座につき、混乱した薩摩を平定。続いて大隅、日向を制して三州統一を覗います。そして、そのあとに貴久の息子たち、島津四兄弟による怒濤の九州制覇のストーリーが始まります。
これら一連の軍事行動の背景には日新斎の思想的な論理があったとされます。

日新斎は幼い頃より論語に通じ、のちには禅を修め、神道の奥儀を究めて儒教、神道、仏教を融合、独自に「日学」と呼ばれる一流を開いた思想家でもありました。日新斎は学問を奨励し、いろは歌を作って人としての道を一族や家臣団に伝えます。
この「日新公いろは歌」は薩摩の士風と文化の基盤を築き、のちの薩摩藩の教育システム「郷中教育」の基本思想ともされ、幕末の勤皇の志士の輩出にも大きな役割を果たしたといわれます。

隠居した日新斎は貴久の息子たち、義久、義弘、歳久、家久の四兄弟の教育に励んでいます。
日新斎は家をまとめ、国をまとめるための思想をこの四兄弟に伝え、一族、家臣団を団結させて薩摩を隆盛へと導きます。やがて、日新斎の孫たちは最強軍団を率いて三州を統一、九州制覇を目指して北上するのです。

これらはすべて日新斎が描いた島津発展のストーリーであったといわれます。

(あらき 獏)

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