8月4日は「ビヤホールの日」、そして8月5日は「世界ビールの日」だそうです。
1899年の8月4日、東京・銀座に日本最古のビアホール「ヱビスビヤホール」が開店したことにちなんで制定されたこの記念日。
諸説あるものの、紀元前8000~4000年から飲まれていたとされるビール。
遠く離れた地のメソポタミア文明の中で生まれたビールは、どういった経緯で日本にやってきて、今のように一般的な飲み物になったのでしょうか?
日本で初めてビールを飲んだのは?江戸時代の偉人とビール
ビールが始めて日本にやってきたのは、江戸中期の1724(享保9)年。
オランダ商船が長崎の出島を通じて持ち込み、8代将軍・徳川吉宗(とくがわよしむね)に献上されています。吉宗が飲んだ感想などは記録されていませんが、初めてビールを飲んだ日本人なのかもしれません。
日本に持ち込まれたビールはお上に献上されただけではなく、一部が民間にも流れています。
「解体新書」で知られる蘭学者の杉田玄白も吉宗に献上された年と同年に入手し飲んでおり、コチラは記録も。
他の医者との文通記録に、「酒は葡萄にて作り申候、又、麦にても作り申候。麦酒給見申候処、殊の外悪しき物にて何の味わひも無御座候。名をひいると申候。」と記しています。杉田玄白はビール(ひいる)を「味わいが無くマズイ」と酷評。
ただ、その後に「喉の渇きは潤してくれる」と微妙なフォローもしています。
時代は流れ、幕末の1824(文政7)年には福沢諭吉もビールを飲んだ記録を残しています。
「ビイルという酒あり。是は麦酒にて其味至って苦けれど胸襟を開くに妙なり」と、記しており「ビールは苦いけど胸襟を開いて楽しむにはイイよ」といった感想をもったようです。
今も昔も、皆でリラックスして楽しむには最高のアイテムみたいですね。
開国と共に花開く日本のビール産業
海外からではなく、日本産のビールが生まれたのは1812(文化9)年の長崎県出島内。
オランダの商館長であったヘンドリック・ドゥーフがビール醸造を行っています。
その後、明治初期には横浜外国人居留地などで欧米人が本格的な商業ベースのビール醸造を開始し、日本国内の外国人や富裕層を楽しませただけではなく輸出も行っていました。
同時期に日本人もビール醸造を実施していきます。
明治時代は、コーヒーが楽しめる「カフェ」や牛乳と軽食が洋館の中で楽しめる「ミルク・ホール」なども存在しており、とにかく西洋文化を味わいたい流行に敏感な老若男女が多かった時代でした。
そんななか、江戸品川、大阪などで徐々にビールの生産が開始され、明治9(1976)年、現在のサッポロビールが北海道でビール生産を行いました。
明治中期から近代的な生産方法が開始され、大正初期に第一次世界大戦の経済的特需の恩恵から、一般庶民にもビールを愛飲する層が拡大。
各地にビアホールも生まれました。
戦争の苦境も乗り越え、ビールは庶民の癒しに
第一次世界大戦の特需のゆり戻しから、日本は不景気に突入します。
大東亜戦争で、大麦などビールの原料を輸入することができなくなった上、ビールはぜいたく品だと規制対象になりました。
終戦後、原料の輸入も再開され規制も解かれると、閉鎖されていたビアホールは再び活況をみせます。
量産が可能になり、安価で提供されるビールは、戦後復興から所得倍増の高度成長期にかけて、日本の成長を支えた労働者の仕事終わりに欠かせない存在に。
また、冷蔵庫の普及によって自宅でも気軽に飲むことができ、ビールの出荷数も急激に上昇します。
開国と技術革新によって、舶来の高嶺の花から庶民の癒しアイテムとなったビール。
実は、戦前に日本の統治領であった親日的な南国・パラオ共和国では、「扇風機」や「電話」などといった日本語が残っています。そのパラオでは「ビール」のことを「ツカレナオス」というそうです。
夏の暑い日は、仕事終わりに仲間とビールを飲んで疲れなおしたいですね!
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