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【悲劇の女王?それとも悪女?】スコットランド女王メアリー・ステュアート

【悲劇の女王?それとも悪女?】スコットランド女王メアリー・ステュアート

みなさんは「ハイランドクイーン」というスコッチウイスキーをご存知でしょうか? ”スコットランドの女王”を意味するこのウイスキーには、馬に乗った女性のエンブレムが描かれています。彼女の名は、メアリー・ステュアート。イングランド女王エリザベス1世と比較されることも多く、現在も数多くの芸術作品の題材となっている人物です。その悲劇的な生涯が人々に愛されてきた一方で、恋に溺れた”悪女”として描かれることも多いメアリー。彼女は一体どんな人物だったのでしょうか?

生後6日でスコットランド女王に即位

メアリー・ステュアートは、1542年にスコットランド王ジェームズ5世とフランス貴族ギーズ公家出身のマリー・ド・ギーズの長女として誕生しました。しかし、父の早世により、生後6日でスコットランド女王となります。

当時のスコットランドは、宗教や領土をめぐって隣国イングランドの脅威にさらされていました。メアリーの叔父でもあるイングランド王のヘンリー8世は、これを機に息子エドワード6世とメアリーを婚約させ、スコットランドを手に入れようと画策します。しかし、ヘンリー8世を警戒した母マリー・ド・ギーズは、幼いメアリーを人目の届かない修道院に匿いました。そしてヘンリー8世の死をきっかけに、スコットランドと同じくカトリックを信仰する祖国フランスの王太子フランソワとメアリーを婚約させることに成功します。わずか6歳だった花嫁メアリーは、母と離れてフランスへと渡り、未来の王妃としてフランス王宮で大切に育てられていきます。

1558年4月、美しく成長した15歳のメアリーは、婚約者の王太子フランソワとパリのノートルダム寺院で結婚式をあげました。翌年、国王アンリ2世が事故死したことで、王太子がフランソワ2世として即位し、メアリーはスコットランド女王にしてフランス王妃となります。まさに人生の絶頂期でした。

フランソワ2世とメアリー王妃

イングランド女王エリザベス1世との確執

メアリーとフランソワが結婚式を挙げた年の11月、イングランドで新たな女王が即位しました。かの有名なエリザベス1世です。

彼女がイングランド女王に即位した際、フランス国王アンリ2世は「エリザベスはヘンリー8世の庶子にすぎず、メアリーこそ正当なイングランド王位継承権者だ!」と抗議しました。エリザベスはイングランド王ヘンリー8世と愛人アン・ブーリンとの間に生まれましたが、母が罪人として処刑されたことで王女から庶子に降格させられていたのです。一方で、祖母がヘンリー8世の姉マーガレット・テューダーであるメアリーは、イングランドの正当な王位継承権を有していました。

イングランド国内でもエリザベスの王位継承に不当性を唱える大貴族がいるような不安定な情勢の中、メアリー自身もイングランドの王位継承権を主張したことで、エリザベスはメアリーを危険なライバルとみなすようになっていきます。

メアリーとエリザベスをめぐり、フランス・イングランド・スコットランドによる様々な思惑が交錯する中、フランス王宮に衝撃が走ります。即位からわずか1年、生まれつき病弱であったフランソワ2世が、16歳の若さで病死してしまったのです。フランソワ2世との間には子どもがいなかったため、メアリーはフランス王妃の地位を失いました。しかも夫の死から半年足らずで今度はスコットランドを統治していた母マリー・ド・ギーズが亡くなります。メアリーは華やかなフランス王宮での生活に別れを告げ、スコットランドへ帰国せざるをえませんでした。

輝かしい未来が約束されていると思われたメアリーの人生は、ここから大きく狂いだしていきます。

即位式のエリザベス1世

スコットランドでのスキャンダラスな恋

13年ぶりに帰国したスコットランドはカトリックとプロテスタントの対立が激化し、国民のほとんどがプロテスタントとなっていました。メアリーはカトリックでしたが、宗教の争いを避けるためにプロテスタントである異母兄のマリ伯を重臣にするなど、宗教の選択には寛容な姿勢をとりました。メアリーの美しさや穏やかな人柄も国民の心をつかみ、当初は反発していた人々もしだいに彼女を支持するようになっていったそうです。

若くして未亡人となったスコットランド女王には、他国から多くの政略結婚の申し出がありました。ところが、メアリーは4才年下で従弟のダーンリー卿と結婚して世界を驚かせます。メアリーが恋に落ちたダーンリー卿は金髪の美男子で、メアリーと同じステュアート家の血筋で家柄も申し分ありません。しかし、権力への執着が強く、傲慢で感情的な性格だったため、2人の関係は1年もたたないうちに冷え切ってしまいます。

ダーンリー卿とメアリー

やがてメアリーは有能で細やかな気づかいをする音楽家で秘書のダヴィッド・リッチオを寵愛し、重用するようになりました。しかし、そのことに嫉妬したダーンリー卿は、女王に不満をもつ貴族たちと共謀し、妊娠中だったメアリーの目の前でリッチオを殺害してしまいます。メアリーはショックのあまり流産しかけますが、無事にジェームズを出産。子供は生まれましたが、ダーンリー卿との関係は以前と変わらぬままでした。

愛を渇望していたメアリーは、今度は寵臣であった年上のボスウェル伯に惹かれていきます。しかし、メアリーには夫がおり、彼女が信仰するカトリックは離婚を認めていませんでした。そんな中、エジンバラ郊外で療養していたダーンリー卿の屋敷が爆破され、殺害されるという大事件が起こります。そしてなんとその3か月後、メアリーはボスウェル伯と3度目の結婚式を挙げたのです。当時、ダーンリー卿殺害はボスウェル伯が首謀者で、メアリーも共謀していたと噂されていたため、国内外の非難が集中し大スキャンダルとなりました。

ボスウェル伯

完全に国民や臣下からの信頼を失ったスコットランド女王。間もなく、反ボスウェル派の貴族たちが反乱を起こし、メアリーは捉えられてしまいます。逃げ延びたボスウェル伯も反撃を試みましたが失敗し、デンマークで逮捕された後に獄死しました。ロッホリーヴン城に幽閉されたメアリーは、ついに廃位となりスコットランド女王の地位を失います。(その後、スコットランド王には息子のジェームズが即位しました)

メアリーは城を脱走し、6,000人の兵士を集めて復位を目指しましたが失敗。万策尽きたメアリーはイングランドに逃れ、なんと宿敵エリザベス女王に保護を求めたのでした。愛した男性も、女王の地位も失ってしまったメアリー。まだ25才だった彼女は、このときが人生の事実上の終わりであることを知る由もありませんでした。

19年間の幽閉生活の果てに

エリザベスにとって、正統な王位継承権を持つメアリーは危険きわまりない人物でした。しかし、慈悲深い女王としての立場から血縁のメアリーをスコットランドに送り返してみすみす死なせるわけにもいかず、イングランドに受け入れて幽閉生活をさせることにしました。各地を転々とさせられたメアリーでしたが、軟禁状態とは思えないほど自由に近い生活をしていたそうです。

しかし、メアリーはたびたびイングランド王位継承権者であることを主張し、幾度もエリザベス廃位の陰謀に加担してました。そしてついに動かぬ証拠をつきつけられたメアリーは、死刑を言い渡されます。1587年2月8日、メアリーは19年間の幽閉生活の果てにフォザリンゲイ城の大広間で処刑され、44年の生涯を終えました。

処刑されるメアリー

悲劇の女王?悪女?現代に受け継がれるメアリー・ステュアート

国家間の権力争いに巻き込まれ、断頭台に消えていった悲劇の女王として、多くの人々を魅了してきたメアリー・ステュアート。しかしながら、イングランドの王位継承権を主張してエリザベス廃位を企てたり、愛した男性が次々と不幸な死を遂げたことから、愛のために生きたわがままで愚かな女王という描かれ方をされることも少なくありません。どちらが本当のメアリーなのかはわかりませんが、そんな危うさをも孕んだ壮絶な生涯だったからこそ、今でも舞台やドラマの題材として人々に愛され続けているのかもしれませんね。

そんなメアリーは生前に「わが終わりにわが始まりあり」という予言のような言葉を刺繍の中に縫い込んでいました。そしてそれは現実のものとなります。メアリーの息子であるスコットランド王ジェームズ6世は、エリザベス1世の死後、ジェームズ1世としてイングランド王位を継ぎ、2つの国を統べる王となりました。その後もメアリーの血筋は脈々と受け継がれ、現代のイギリス王室まで繋がっているのです。

44年という短い人生だったメアリー・ステュアートですが、彼女の生きた証は、きっとこれから先も何百年と受け継がれていくことでしょう。

 

関連作品:宮廷歴史ドラマ「クイーン・メアリー 愛と欲望の王宮」

スコットランド女王メアリー・ステュアートの愛と運命を描いた宮廷歴史ドラマ。イングランドの侵攻から祖国を守るべくフランスとの政略結婚に応じ、スコットランド女王にしてフランス王妃となったメアリーに待ち受ける陰謀の数々。王宮内の欲望渦巻く勢力争い、フランス・スコットランド・イングランドによる国家間の対立、そして愛憎劇・・・息もつかせぬスリリングな展開の連続に目が離せない!

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