今から151年前の今日、すなわち慶応元年(1865年)2月23日は、幕末の京で活躍した新選組の総長・山南敬助(やまなみ けいすけ)が世を去った日である。
山南は近藤勇や土方歳三とともに上洛し、新選組をともに結成した創設メンバーのひとりで、副長の土方に次ぐ総長という地位にあった。
だが、理想の違いからか近藤や土方とすれ違いが生じ、山南の活躍の機会は次第に減っていく。
上洛から2年後の元治元年(1864年)、新選組が「池田屋事件」で一躍名を馳せたときも、そこに山南の姿はなかった。一説によれば病気のため出動しなかったという。
そして翌年、思うところあってか山南は「江戸へ行く」という手紙を置いて京を離れた。無断脱走は新選組の法度に背くことになる。
沖田総司が山南を追い、大津の宿にいるところを捕縛して連れ戻す。仲が良かった伊東や永倉は、隙を見て再度逃げるよう勧めたが、死を覚悟した山南は粛々と切腹命令に従う。
本人の希望により、沖田の介錯によって当時の屯所のひとつだった旧前川邸で切腹して果てた。享年33。立ち会った近藤勇は「浅野内匠頭でも、こうは見事にあい果てまい」と賞賛している。
かつては、新選組隊士の中にあって山南の人気はそれほど高くなかった。それが一変したのは、2004年に放映された大河ドラマ『新選組!』の頃からだろう。
同作で山南を演じたのが今を時めく堺雅人。第33回「友の死」での切腹シーンは多くの人の感動を呼び、その年の年末には第33回だけのアンコール放送が行われるという異例の事態に。以来、山南は土方歳三や斎藤一にも並ぶ人気者となった。命日ならずとも切腹現場である旧前川邸や埋葬された光縁寺を訪れ、山南を偲ぶ人も多いそうだ。
いま考えると意外だが、堺雅人にとっても、この山南敬助役が大河ドラマ初挑戦だった。
奇しくも前年の2003年には、同じ新選組を主人公にした映画『壬生義士伝』で沖田総司を演じており、2年間で切腹役とそれを介錯した人の両方を演じたことになる。
その後、『篤姫』(2008年)では幕末の将軍・徳川家定を演じ、それまでとは一風変わった斬新な家定像が人気を集めた。
そして大河ドラマ3度目の挑戦となる2016年『真田丸』で、国民的人気を誇る戦国武将・真田信繁(幸村)を演じるに至っている。
本人にとっても、真田信繁は初めて演じることになる戦国武将。1年間どのように演じるのかに注目が集まっている。
ちなみに、山南敬助が切腹した旧前川邸(元・新選組屯所)は、個人宅のため外観を見ることはできるが内部は非公開。
ただし、土日祝日のみ玄関にて建物内部の写真入り絵葉書や、新選組の手ぬぐいを販売している。2007年から毎年命日の2月23日に「山南忌」を開催しているそうで、今年で10回目を迎えるという。大河ドラマの影響の強さを見ることができる。新選組ファンならずとも、そっと合掌したい。
旧前川邸
http://kyu-maekawatei.com/
大河ドラマ「篤姫」
https://www.ch-ginga.jp/movie-detail/series.php?series_cd=1883
※山南の命日である旧暦の慶応元年2月23日は、現在の新暦(西暦)に直すと1865年3月20日です。
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