何百年もの歴史を受け継ぐ血筋が意外なところにつながっていると面白いものですよね。
先週からNHKで始まった「歴史紀行バラエティ GOSISON」の紹介記事も大きな反響を呼びました。
そこで今回は、そんなご先祖とご子孫たちを何人かピックアップしてみました。
熊本の殿様は平成の殿様:細川忠興→細川護熙氏
細川護熙氏と言えば、かつて日本新党を旗揚げし総理大臣を務めた人物。政界引退後は陶芸家として活動しています。
そんな護熙氏は肥後熊本藩主細川氏の血を引く、いわば平成の殿様なのです。ちゃんと系図を辿ることもできます。
肥後熊本藩の祖は、戦国大名・細川忠興。戦上手で茶の湯にも通じた武将でした。正室が細川ガラシャであることも有名ですね。ただ、氏はガラシャの子孫ではなく側室の方の血統となります。上品な佇まいは、まさに殿様の血が流れている証明ですね。
先祖と子孫をつないだのはカメラ:徳川慶喜→徳川慶朝氏
江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜は、政権を返上してから趣味に没頭する生活を送ったそうです。
そんな彼が晩年にはまったのがカメラ。腕前はまあまあだったようです。
その嗜好がなんと子孫に受け継がれています。徳川慶朝氏は広告写真の分野での活躍後、現在フリーカメラマンをしています。そしてなんと「徳川将軍珈琲」なるコーヒー豆を手掛けているそうですよ。悠々自適の生活は、これもまた慶喜を彷彿とさせます。
吉川なのに信長を演じてすみません:吉川元春→吉川晃司氏
毛利元就の二男で、安芸の名門吉川家の婿養子となった吉川元春は、父の死後は弟・小早川隆景と共に甥の毛利輝元を支え、毛利の中国地方支配に貢献しました。76戦64勝、負けなしの猛将でした。
そんな元春の子孫が、歌手・俳優の吉川晃司氏だということです(系図未確認)。
晃司氏は大河ドラマ「天地人」で織田信長を演じましたが、配役が決定したときには親戚に「信長って敵だろう」とツッコまれてしまったそうですよ。確かに、信長は中国攻めをしていますからね。
本能寺の変の真相を語る!:明智光秀→明智憲三郎氏
戦国時代最大の逆賊とされる明智光秀、その子孫と称しているのが作家の明智憲三郎氏です。
曰く、光秀の子・於寉丸の子孫だそうです(於寉丸という名は系図になく、乙壽丸という名はある。山崎の戦いの後行方不明)。
氏には「本能寺の変431年目の真実」など本能寺の変の真実を検証する著作があり、そこでは黒幕を徳川家康としています。それによると、かねてより家康を危険視していた信長は、光秀に家康を本能寺に呼び寄せて殺せと命じたのだそうです。が、光秀はそれを家康に伝えて共闘し信長を暗殺したということでした。
豊臣秀吉はそれを予想しており、中国地方からすぐに戻って自身の正当性誇示のために、光秀を逆賊に仕立てたのだと氏は主張しています。
氏の先祖は明田姓を明治まで名乗っていましたが、曾祖父の代になり、伝承品と共に明智への復姓を願い出て許可されたということです。
鬼の副長の面影あり!?:土方歳三→番場琢氏
新選組副長で、戊辰戦争で戦死した土方歳三は正式な妻子はいなかったとされています。
しかし、テレビ番組に出演したレーサーの番場琢氏は、「(母の)曾祖父が土方歳三だった」と氏の母が言っていたと公表しました。氏の父方の祖父はアメリカ人であるため、氏はクォーターになります。ちなみに、氏の父はヴァイオリン職人です。
土方歳三は、皆さんもご存知の通りとても男前です。そんな土方に女性がいなかったはずはなく、もしかすると隠し子がいたかも・・・と想像もしてしまいますね。
系図まできちんと辿れる子孫というのはなかなか難しいようです。しかし伝承にもロマンがありますね。
私たちも気づいていないだけで、誰かにつながる血筋かもしれませんよ。調べてみたくなりますね!
(xiao)
引用元:
吉川晃司公式サイト
http://www.kikkawa.com/
レーシングドライバー番場琢のニコニコバンバンブログ!
http://minkara.carview.co.jp/userid/733615/blog/
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