6月2日は横浜港・長崎港の開港記念日です。
1858(安政5)年に締結された日米修好通商条約に基づき、横浜と長崎が開港しました。
物流や人的交流が制限されていたもの、日本には昔から多くの外国人が訪れ、様々な文化や技術が海外から流入していました。
日本人は海外から入ってくる知識を貪欲に吸収し自身の文化として昇華してきましたが、海外の人々は日本の事をどう見ていたのでしょうか?
現在に残る文献から、独自の文化を育んでいる極東の島国への評価を見ていきたいと思います。
「東洋遍歴記」フェルナン・メンデス・ピント
フェルナン・メンデス・ピント(1509年~1583年)はポルトガルの商人であり冒険家です。
アジアやアフリカを歴訪し、日本へは計4回訪れています。元々はイエスズ会の修道士だったのですが、日本を離れる間に脱会したそう。
彼が「東洋遍歴記」に記した記録を見てみましょう。
「その寺院というのはすこぶる壮麗・豪華で、彼らの司祭に当たる坊主たちは私たちを手厚く迎えてくれた。日本の人々は、みな生来大変に親切で愛想がいい。 」
「そして日本人というのは世界のどの国民よりも名誉心が強いので、自分の前に生ずるいかなる不都合も意に介さず、自分の意図を万事において遂行しようと決心した。」
「この日本人というのは、そのあたりの他のどの異教徒よりも道理に従うものだ」「東洋遍歴記」より
ピントは日本の宗教の独自性を指摘しています。
また、「生命の危険よりも名誉を重んじる」という内容の記述も多く、キリスト教の布教活動を行いたかったイエスズ会の一員としては「気難しい相手」であったものの、ピント自身は現実的な人間だったため一定の理解も示しているようです。
「書簡」フランシスコ・ザビエル
フランシスコ・ザビエル(1506年~1556年)はカトリック教会司祭のバスク人です。日本で初めてキリスト教を広く布教した宣教師ともいわれており、教科書にも載っていますのでご存じの方も多いでしょう。
聖パウロよりもキリスト教信仰者を増やしたとされているカトリック教会の聖人です。
「第一に、私たちが交際することによって知りえた限りでは、この国の人びとは今までに発見された国民のなかで最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。」
「大部分の人は読み書きができますので、祈りや教理を短時間に学ぶのに、たいそう役立ちます。」
「彼らは道理にかなったことを聞くのを喜びます。彼らのうちで行なわれている悪習や罪について、理由を挙げてそれが悪であることを示しますと、道理にかなったことをすべきであると考えます。」「書簡」より
ザビエルは、日本人が一般庶民まできちんと教育を受けた知的な国民であると指摘しています。
しかし、その反面
「考えも及ばないほど大きな迫害を受けなければなりません。」
「日本人はほとんど問題がないような小さなことでも、特に外国人にうるさくつきまとっては質問し、外国人たちを馬鹿にして、いつもあざ笑っています。」
と、自身の時間が一切持てない程の日本人による質問攻めに苛立ち、辟易している様子も見て取れます。
「日欧文化比較」 ルイス・フロイス
ルイス・フロイス(1532年~1597年)はカトリック教会司祭のポルトガル人。
日本におけるキリスト教の布教活動が中心となっている「日本史」等の著作でも知られており、織田信長や豊臣秀吉とも謁見しました。
ヨーロッパ文化と日本文化を比較した「日欧文化比較」では、日本の文化や生活習慣などをチェックし、ヨーロッパ文化とどう違うかを細かく比較しています。
「ヨーロッパでは未婚女性の最高の栄誉と貴さは、貞操でありまたその純潔が犯されない貞潔である。日本の女性が処女の純潔を少しも重んじることなく、処女でなくても名誉を失わなければ結婚もできる。」
「ヨーロッパでは娘や処女を閉じ込めておくことはきわめて大事なことで、厳格に行われる。日本では娘達は両親にことわりもしないで一日でも幾日でも、ひとりで好きな所へ出かける。」「日欧文化比較」より
キリスト教では、快楽を得るための性的行為は悪とされており、女性の活動も制限されてきました。
日本でも武家や貴族と位の高い人たちは制限の多い生活をしていたでしょうが、一般庶民の女性たちは割りと自由に日々の生活を楽しんでいたようです。日本でキリスト教的な価値観が一般的に広まるのは明治以後であり、逆に西洋は近代に入ってから規則に捕らわれない自由な生活を重要視し始めます。
ほかにも、「ヨーロッパ人は焼いた魚、煮た魚を好む。日本人は生で食べることを一層よろこぶ。」という記述から、日本人は戦国時代から刺身が好きであったことや、「我々は全ての物を手を使って食べる。日本人は男も女も、子供の時から二本の棒を用いて食べる。」という記述から、ヨーロッパでは17世紀まで手掴みで食事をしていたことなども分かります。
「シドモア日本紀行」エリザ・シドモア
エリザ・シドモア(1856年~1928年)は著作家、地理学者、写真家のアメリカ人です。
ナショナルジオグラフィック最初の女性理事であり、何度も来日している親日家として知られています。
「家並みは玩具に、住民はお人形さんに見えます。その暮らしのさまは清潔で美しく、かつ芸術的で独特の風情があります。」
「礼儀正しく洗練された東洋の華・日本は、陽気で明るく友好親善に満ち、魅力あふれる審美的民族の島であることは、誰しも認めざるを得ません。」
「シドモア日本紀行」より
日本の自然豊かな地形と文化を好んだエリザ・シドモア。
彼女はアメリカに帰国後、首都のワシントンD.C.のボトマック河畔沿いに桜を植樹することを提案。当時のファーストレディであるヘレン・タフト夫人と作り上げた桜並木は、現在でも春になると美しく咲き誇り、日米友好を体現できるフェスティバルも同時開催されています。
エリザ・シドモアが最後に寄稿した記事は「日本の子供ら」。1928年11月3日にジュネーブでお亡くなりになりましたが、横浜外国人墓地にはエリザ・シドモアの墓があり、近くには「シドモア桜」と呼ばれる桜が植えられています。
現在でも日本の旅行記は人気があり、特に歴史ある文化財から何気ない街角まで様々な角度から撮影された「日本の風景写真」は大手メディアでも特集記事が出るなど、海外から評価が高い傾向があります。
日本に住んでいる日本人には気付きにくいものの、今も昔も「日本の美」は新鮮に映るようです。
世界の経済大国になる前の日本の評価の多くに共通している点は「貧しい人もいるが貧困ではない」、「庶民も礼儀正しく誇りをもっている」というモノ。
悪人がいないというワケではありませんが、今も昔も海外からは「礼儀正しい人が多い」というのが日本の高評価ポイントなようです。
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