2月といえば節分。節分といえば、「豆まき」だけでなく、恵方(縁起のいい方角)を向いて「海苔巻き」(太巻き)を食す風習も有名だ。
これは「丸かぶり寿司」や「恵方巻き」と呼ばれ、元々は関西の風習だったが、近年コンビニで売られるようになり、今では全国区になった。
この風習、一体いつから始まったのかといえば、記録がないため分からない。俗説では、豊臣秀吉に仕えた戦国武将・堀尾吉晴(ほりお よしはる)が節分の前日、飯に海苔(のり)を巻いたものを食べて出陣し、大手柄を立てたことに始まるという。
しかし当時、今のようなパリパリとした板海苔は無い。当時の海苔といえば、生海苔・岩海苔の類。あの桃屋の「ごはんですよ」のようなペースト状のものだった。時代を考えれば堀尾吉晴に、海苔巻きは食べられない。
しかも江戸時代まで、海苔は海藻類の中でも特に高級な食材だった。昔、海苔は冬にしか収穫できず、極寒の海に入って、岩などに付着したものを漁師が命がけで採ってきたという。だからごく一部の偉い人しか、食べられないものだった。
海苔の歴史は8世紀ごろの奈良時代に始まり、有名どころでは、12世紀の平安末期、源頼朝が朝廷に4回も献上したという記録が残っている。これも生海苔だったはずだ。
そのように超極上品だった海苔が、庶民のものになったのはいつからか。何を隠そう徳川家康のおかげだった。あくまで一説ではあるが、そのきっかけを記そう。
1603年、家康は江戸幕府を開いた。幕府は品川の漁師たちに、獲れたての魚を毎日、献上するよう命じた。しかし、天気が悪い日は漁に出られない。そこで漁師たちは海岸に生簀(いけす)を作り、そこに将軍のための魚をキープしておくようになる。
しばらくすると、生簀の足に大量の海苔がこびりついていた。これを聞いた家康は大喜び。健康オタクとしても有名な家康は、海苔が身体にいいことを体感で知っていたはず。
すぐさま海苔の養殖を推奨し、それを受けて江戸城の南の海岸、品川や大森で海苔が大量生産されるようになった。
そして時は流れ、8代将軍・吉宗の時代の享保2年(1718年)ごろのこと。浅草で、和紙づくりの技法を生かし、収穫した海苔を刻んで水に溶かし、四角い型にすくって乾かす、という製法が発明された。
これが、あのパリっとした「板海苔」のはじまりである。板海苔は「浅草海苔」と呼ばれて広まり、江戸名物として全国に売り出される。
18世紀の終わり、安永年間には浅草海苔を使った吸い物や、「かけそば」に花びらのように散らして入れる「花巻」というメニューが一般的になった。
おにぎりにも使われるようになったし、巻き寿司(海苔巻き)も自然と出来たのだろう。それが関西に広まり、いつしか「恵方巻き」の風習となったに違いないから、発祥は江戸時代の中ごろから後半ということになる。
現在、海苔は養殖化され、いつでも食べられるようになった。
節分に「恵方巻き」を召し上がる方も多いはずだ。海苔あってこその恵方巻き。その誕生の影に昔の漁師さんたちの大変な努力と、徳川家康の英断があったことを忘れないで欲しい。
コメント