いつの時代も、男女問わず「モテたい」という願望を持つ人は多いものです。昔の人はどのようにしてモテていたのか、知りたくありませんか?
そのモテテクの数々を、歴史上のモテまくっていた偉人から教えていただきましょう!
文才豊かなメッセージで皇女も狙う!在原業平
一昔前ならばラブレター、現在ならばメールや様々なSNSを駆使して行う恋の駆け引き。
1000年以上前の平安の世では、「和歌」が重要な恋のメッセージツールでした。男性が女性を想う和歌を詠み、その和歌が素晴らしければ女性が返す、といったシステムで、どんな男性でも素晴らしい和歌が詠めなければ女性と会うことすら不可能なのです。
そんな平安の恋愛システムの中でモテにモテたのが、在原業平(825年~880年)。
桓武天皇の曾孫という高貴な血筋ながら、在原業平は宮廷ではあまり恵まれた待遇を受けていなかったのですが、様々な問題があった祖父や父だけではなく自身の女遊びも原因の一つだといわれています。
一説によると、なんと関係を持った女性の数は3000人を超えるとか。
在原業平は平安初期の歌物語「伊勢物語」のモデルだとされている人物です。
本編の中では、伊勢の斎宮(さいぐう)との恋愛が描かれていますが、伊勢の斎宮とは天照大神に仕える身であり、神に近い存在。そんな伊勢の斎宮は夜中に在原業平の元へ訪れ、2人きりの時間を過ごしてしまうのです。
その際に在原業平が詠んだ和歌が
「君や来し我や行きけむ思ほえず 夢かうつつか寝てか覚めてか」
意味:君が来たのか私が行ったのかもわからない。夢の中の出来事か現実の出来事かどうかも・・・。「かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは今宵さだめよ」
意味:心の闇の中を彷徨っている。これが夢か現実かは今夜決めよう。
和歌の天才・在原業平は、その文才で伊勢の斎宮すら虜にしてしまうのです。
敵の大将も惚れる!ミスコンクイーン・常盤御前
当時の帝である近衛天皇の妻、九条院(藤原呈子)が自分の身の回りの世話をさせるための「雑仕女(ぞうしめ)」を募集したのですが、その条件は「美女である事」。都中から1000人もの美女を集め、雑仕女オーディションを始めたのですが、コレが日本初のミスコンだという話もあります。
その中で選ばれたのが、絶世の美女として名高い常盤御前。
貧しく身分の低い常盤御前ですが、あまりにも美しかったため、源義朝に見初められ側室として源義経ほか2人の子供を産みます。
しかし、源義朝は平治の乱で死去。
「息子だけでも」と敵対していた平清盛の元へ行きます。敵陣に女性が乗り込むのですから、殺されても不思議ではありません。
しかし、平清盛は常盤御前の美しさに一目惚れし妾にしてしまうのです。
公家の世から侍の世へ移行する平安末期の混乱期。
絶対的な美しさと自己アピール力で常盤御前は混乱期を生き抜き、その後何百年も彼女を描いた物語や舞台、浮世絵などの中で輝き続けるのです。
今も昔もSAMURAIは世界でモテモテ?立石斧次郎
現在でも侍・武士は世界的に人気がありますが、幕末の世でアメリカ人女性たちにモテにモテたのが立石斧次郎(たていしおのじろう)。
1860年、日米修好通商条約批准書交換を目的にアメリカへ派遣された使節団の通訳として斧次郎は渡米します。
「日本男児=寡黙」というイメージを持つ人もいるかも知れませんが、斧次郎は持ち前の明るさと人懐っこさ、コミュニケーション能力の高さで計半年程度で英語をマスターし、周囲のアメリカ人と打ち解けます。
幼名が「為八」だったことから、あだ名は「トミー」。
使節団はサンフランシスコからワシントン、ニューヨークと移動していきます。そんななか彼の陽気なキャラクターにアメリカは魅了され、何千通ものアメリカ人女性からファンレターが届き、周囲の人間も対応に苦慮するハメに。
地元紙の「NYイラストレイテッド紙」では斧次郎の全身イラストが一面を飾り、「トミーポルカ」という歌まで作られました。斧次郎の周囲は常に大勢のアメリカ人女性が囲んでいるという状態が帰国まで続きます。
その明るさとコミュニケーション能力の高さは世界共通のモテ要素のようです。
国内外でモテたプレイボーイ・プレイガールを紹介しましたが、共通点は「自己アピール力」。
バッターボックスに立たなければ打てないのと同様に、アピールできる積極性が無ければモテないのは、古今東西共通でしょうね。
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