ゆるキャラ人気に火をつけた滋賀県彦根市のキャラクター、ひこにゃん。ご存知の方も多いと思います。
ひこにゃんは国宝・彦根城築城400年記念祭のマスコットとして登場したのですが、なぜひこにゃんが白猫なのか、兜を被っているのかはご存知でしょうか。
これには、ひこにゃんと彦根藩主を務めた井伊家との関わりがあったのです。井伊家と言えばそう、徳川家康の重臣・井伊直政に連なる大名家ですね。
さて、それではひこにゃんの由来、井伊家との関わりについてご紹介いたします。
ひこにゃんと彦根藩2代藩主・井伊直孝の意外な関係
ひこにゃんのオフィシャルサイトを見ると、彦根藩2代藩主・井伊直孝をお寺の門前で手招きして雷雨から救った招き猫であること、井伊家のシンボルである赤備えの兜を被っているということが書かれています。
では井伊直孝についてですが、彼は、「井伊の赤鬼」と恐れられた猛将・井伊直政の次男です。
実は大坂冬の陣で真田信繁の計略にかかり、真田丸で大損害を受けてしまったりしていますが、これは若気の至りということで。
直政の死後、家督を継いだ兄・直勝が家臣をまとめきれなかったため、家康の裁定により直孝が井伊家を継ぐこととなりました。この時、赤備えを受け継いでいます。赤備えとはあらゆる武具を朱塗りにした部隊のことで、戦場で目立つ精鋭部隊の象徴でした。
大坂夏の陣では活躍を見せ、淀殿と豊臣秀頼を包囲し自害に追い込むという功績を挙げました。
また、徳川秀忠の側近く仕えて絶大な信頼を得ており、秀忠は臨終の折に直孝を3代将軍・家光の後見役に指名しています。
井伊直孝と白い猫の話
ある時、直孝は鷹狩りの帰りにとある粗末な寺の前を通りかかりました。と、門の所で手招きしているような白猫がいます。そこで直孝は中に入ってみると、辺りが雷雨となったのです。
直孝は寺で雨宿りしているうちに和尚と知己になりました。その後、寺は井伊家の寄進により立派な寺となり、かつ井伊家の菩提寺となりました。
その名は豪徳寺、直孝の法名「久昌院殿豪徳天英大居士」にちなんでいます。
猫が死ぬと、和尚は猫の手招きが寺を栄えさせてくれたと招猫堂を立てて祀りました。そして、猫が片手を挙げた「招福猫児(まねぎねこ)」が作られるようになったと言われています。
他にも少し内容が違う話もあり、直孝が木の下で雨宿りしていたところ、手招きする猫を見つけて近寄ってみると木に雷が落ち、命を救われたことに感謝して寺に寄進をしたというものもあります。
このような逸話があって、ひこにゃんというキャラクターができ上がったのですね。
ひこにゃんは招き猫の元祖!?
招き猫の話まで、ひこにゃんと井伊家につながってくるとは思いませんでしたね。
招き猫の発祥の地というのはいくつかありますが、豪徳寺もそのひとつとして有名です。
豪徳寺の招き猫はほぼみな右手を挙げています。武士にとって左手が不浄の手であるためだとか、多くの武士は右利きで左腰に鞘を指していたためだとか、諸説あるようです。
しかし、一般的な招き猫のシンボルである小判が、豪徳寺の招き猫にはありません。
これには武士である井伊家との関わりがあるためだそうで、武家はお金に執着することを軽蔑していたため小判を持たせていないのだと言われています。ひこにゃんも小判は持っていませんね。立派な武家の招き猫なのです。
豪徳寺は井伊家の菩提寺となったため、直政や直孝、後に桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓もあります。
境内には奉納された大量の招き猫の様子は圧巻なので、ぜひ一度行ってみてはいかがでしょうか。
ひこにゃんがここから生まれたのかと感慨を深めて下さい!
(xiao)
参照元:ひこにゃん公式サイト http://hikone-hikonyan.jp/
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