大阪市の中心部から北東へ約15キロのところに位置する大東市。
戦国・山城ファンには「三好長慶」や「飯盛城」で有名ですが、それだけではありません。
この市は、古くから大阪湾へ注ぐ大和川と多くの支流の氾濫により、水害と戦い続けてきた歴史があるほか、古くからの史跡なども多々ある歴史のまちでもあるのです。
今回、そんな大東市の歴史が、マンガ「再発見!とめやんと巡る大東の歴史〜水がつむいだまち(近世編)」として出版されました。
案内人はタヌキの神様「とめやん」
さて、この「大東の歴史」は、主人公である従兄弟同士の中学生の薫と菜摘が、大東市の有名なお祭り「のざきまいり」で出会ったタヌキ「とめやん」に案内され、タイムスリップしながら市の歴史を学ぶという展開のマンガ。
とめやんは「正一位高吉(たかはた)大明神」として市内の宝塔神社に実際に祀られている伝説のタヌキです。
昔この地域に出没し、悪さばかりするタヌキを捕まえたら、そのタヌキが「人間がとめ、とめ、とバカにする。神社で祀ってほしい」と願い出て、人々がこの神社に祀ったらイタズラがパッタリと消えたという言い伝えが残っています。
関西弁を流暢に話すおっさんタヌキ、でも神様という設定もコミカルに、薫と菜摘とタイムスリップし、いろいろな時代の大東市を案内します。
関西の三参りの一つ「のざきまいり」
まず彼らが訪れたのは毎年5月初旬に開催される「のざきまいり」。
これは、1300年前の奈良時代に中国から日本に来た高僧が、野崎の地を釈迦が仏法を説いた鹿野苑(ろくやおん)の景色に似ていると伝え、それに感動した日本の僧行基が観音様を祀ったという福聚山慈眼寺への参拝を指します。
この観音様は、戦乱の世にお寺が焼けても残ったという大変貴重な仏像。
しばらく小さなお堂にあったものを、戦国時代に再び青厳和尚が寺として復興させたそうです。
境内には西国三十三所を一度に拝める三十三所観音堂や、人形浄瑠璃で有名な悲恋の物語、お染・久松の塚もあります。
このように長い年月歴史を重ね愛されてきたこの「のざきまいり」は、関西でも京都祇園の「おけらまいり」、讃岐金毘羅さんの「鞘橋の行き違い」に次いで「関西三大参り」と言われる由緒ある参拝で、江戸時代から伝わる一大行事なのだそうです。
舞台は一気に江戸へ!大治水工事「大和川の川違え」と新田開発
その後3人は一気に江戸時代へ。そこは、宝永元年(1704)この地域に水害をもたらしてきた大和川の付替え工事の真っ最中。
幕府によるこの工事は総延長14キロ、幅180mの新しい川をつくるもので、10年かかるといわれた工事を、人々はなんと約6ケ月で見事に完成させました。
付替え後、旧大和川下流の深野池の跡地を9年もの歳月をかけて、干拓、開墾してできたのが深野新田で、一大耕作地が誕生しました。二人は当時の人達の苦労や、今日の大東市の発展の基礎がこの深野池の新田開発によってできたことを知ります。
そして、頻繁に氾濫していた場所のため、コメではなく木綿と菜種という川から運ばれる砂地に適した作物が中心に育てられていた話や、できた新田にたくさんの用水路をつくり、小舟で行き来しながら肥料となる糞尿を大都市大坂から運んでいた話など、なかなか普通では知られていないエピソードまでとめやんは二人に教えてくれます。
この他にも、新田管理をするために造られた平野屋新田会所の説明なども文中にあり、近世の大東市の成り立ちが、コミカルにわかりやすく解説されています。
歴人マガジン読者だけの限定プレゼント!
とめやんのナビゲートにより、何気なく暮らしている大東市の成り立ちには、長い年月と人々の大変な苦労があったことを学ぶ薫と菜摘の二人。
その町の歴史を知ることは、その町を大事にする思いを生みます。
このマンガ冊子も、子どもたちに自分の町を愛して欲しいという思いを込められて作られたものなのでしょう。
マンガにしてわかりやすく丁寧に作られていますが、大人が読んでもフムフムと勉強になり、大東市を知るのに大変役立つ歴史ガイドブックです。
そして今回、1冊300円のこの冊子を、歴人マガジン読者20名の方へ大東市教育委員会から送っていただけることになりました。
希望される方は下記へハガキで住所・氏名・電話番号を記載して応募してください。
送付先:
〒574-0076 大阪府大東市曙町4-6 大東市立市民会館5階 大東市教育委員会 生涯学習課
歴人マガジン マンガプレゼント係宛
なお20名様以上の申込があった場合は、商品の発送をもって当選に代えさせていただくとのこと。
飯盛城や三好長慶だけでない大東市の歴史を濃縮して学べるこの冊子プレゼント、ぜひご応募いただき、大都市大阪を支えた大東の歴史を知ってもらえればと思います。
参照元:
「大東市」オフィシャルサイト
編集長Y
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