明治維新を機に江戸は東京へと名を変え、歴史と共にその有様もすっかり変わりました。
が、どんどん新しくなるばかりが東京じゃない。江戸の面影は至る所に残っています。
その一つが地名です。現在でも、有名な地名の中には江戸城の機構や徳川家臣、大名を由来とするものがたくさんあります。その中で代表的なものをいくつかご紹介します。
江戸城の堀に囲まれた内側だから「丸の内」
本丸、二の丸という言葉が差す通り、「丸」とは城の敷地内のこと。江戸城の内堀と外堀に囲まれていたことから「丸の内」という地名になっています。かつては大名屋敷が立ち並んだ地域で、明治維新後に軍用施設として使われてからは一時さびれていましたが、明治23(1890)年に三菱の2代目当主・岩崎弥之助に下げ渡されると開発が進み、現在は金融と経済の中心地として栄えています。
服部半蔵が警備した門「半蔵門」
電車の路線名にもなっている半蔵門。この地名は「神君伊賀越え」など徳川家康を支えた伊賀出身の家臣、服部正成とその子・正就の通称である「半蔵」が警備した江戸城の門があったことに由来しています。
当時、門の外は服部父子が率いる与力・同心の組屋敷が立ち並んでいたそうです。
ちなみに江戸城の門が由来になっている地名は他にも虎ノ門、桜田門、御成門などがあります。
本家は三重県?群馬県?「上野」
伊賀に由来する地名はもう一つ「上野」があります。
藤堂高虎が現在の三重県である伊賀上野に地形が似ているから命名したと言われていましたが、どうやらこちらは違うようです。
もう一つの説として、平安時代に公卿の小野篁が上野国(こうずけのくに・現在の群馬県)での任期を終えてこの地に滞在した際、地元の人から「上野殿」と呼ばれたことが由来ではと言われています。
現在は上野と言えば東京のことを差すようになっていますが、元祖「上野」は別にあるようですね。
徳川家臣由来はまだある!「青山・八重洲」
ファッションの街・青山と、東京駅の東側・八重洲も徳川家臣由来の地名。
青山は、現在の群馬県中之条町から出た青山氏の下屋敷があったことから名付けられました。ちなみに正式な地名としては北青山か南青山で、青山そのものはないんだとか。
そして八重洲の由来となった家臣は……なんと、ヤン・ヨーステン。三浦按針ことウィリアム・アダムスと共に日本に渡り、徳川家康に仕えたオランダ人です。彼がこの地に住んだことから日本名の「耶楊子(やようす)」と呼ばれ、やがて八重洲(やえす)へと変化しました。
いかがだったでしょうか。地名は日常に密着したものであると同時に、その土地の歴史を色濃く残すもの。
普段何気なく呼んでいる地名も、思わぬ歴史を今に伝えてるかもしれません。ぜひ調べてみてください。
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