ちょうど2ヶ月前、4/14に発生した熊本地震。
震度7を記録する地震が2回も発生し、たくさんの方が亡くなり、熊本と大分を中心に大変な被害を出しました。
あれから2ヶ月、熊本城はじめ市内各所では復旧が進んでいるようですが、6/12の夜に最大震度5弱の地震が八代市で再び発生。
ニュースでの放送回数も減ってきていますが、あの地震でまだ震災は終わっていないことを再認識しました。
今日はそんな熊本の現状を、もう少し詳しく追ってみたいと思います。
シンボル熊本城はライトアップが復活。しかし・・・
熊本県民の誇りであるシンボル熊本城。
戦国時代に豊臣秀吉に命じられた加藤清正が、その築城技術の粋を集めて造った名城です。
しかし今回の地震で石垣が大きく崩れ落ち、総表面積79,000平方メートルのうち、8,000平方メートルが完全に崩落。
※熊本城Facebookページから引用
その後、城内では5/3に熊本城おもてなし武将隊が活動を再開、5/25には崩壊地区の発掘調査を開始、6/1には念願のライトアップを再開と、4月震災後に歴人マガジンで書いた通り、熊本は力強く歩き始めています。
関連記事:【 がんばれ熊本 】地震なんかに負けるか!熊本城をみんなで復活させよう
このライトアップの様子を、市民によるニュースメディア8bitNewsに投稿された動画で見ることができますが、その熊本城の離れた向かいのビルは熊本市役所。
深夜でもたくさんの窓が光り、復興にむけた市職員の方々に対する撮影者の感謝の声が印象的です。
こうした努力により、市内ではいろいろなインフラも復旧し、街はなんとか動き出していると聞きます。
それと同時に、テレビでの放送なども減ってきているというのも事実。
そんななか、市内を離れた地域はどうなのでしょう。
実際に最も被害が大きかったと言われる益城町や南阿蘇村を視察調査した、防災システム研究所山村武彦氏の写真レポートがあります。
これを見ると、テレビでは見ることができない、被害の凄さに息を飲みます。
こちらのレポートには、益城町の養護老人ホーム「花へんろ」で高齢者のお年寄り43人の世話をしている方々の話がありました。
震災直後に自分の家も壊れてしまっているのに、介護疲れで極限に達していた方々が、救援物資に書いてあった「何事もなく行き着いた未来より、何かを乗り越えてたどり着いた未来の方が、良いに決まっている」という言葉に励まされて頑張るようになったという感動的なエピソードが掲載されており、支援先も記載されています。
参照:2016年熊本地震(速報)現地調査写真レポート:文・写真/山村武彦
また、西原村というところで、住宅前の崩れた道が私道だったがために、村の予算が下りず、手を付けられないまま、買ったばかりの家が傾きだして困り果てているという10世帯の動画レポートを、元NHKのジャーナリスト堀潤氏が送ってきています。(28:37)
この回で既に11回。それだけ多くの方が被災しているという現状が伺えます。
先が見えず、かつ一刻を争う現状を突破するために、現在住民の方々は、クラウドファンディングで工事にかかるお金の支援を募る計画を進めているそうです。
・【被災者からのメッセージ11】「私道崩落」で数千万円の自己負担 熊本県西原村10世帯からのSOS
(Yahoo! News 堀潤)
さらに、総務省の被害状況などについてのレポートには、各地から熊本県内各地の役所に派遣される職員の数などが記載されており、この数字一つ一つが、今回の地震から立ち直るために、地元職員と一緒に必死に働いている人たちなのだと感じさせられます。
・平成 28 年熊本地震による被害状況等について(総務省)
昨日震度5弱を記録した八代市には、昨夜のピーク時は159人が避難所に集まり、まだ36人の避難者がいると聞きます。
テレビで流れなくなったから、地震は終わりではありません。
上述したように、まだまだ支援が必要な多くの人達がいるのです。
不謹慎かもしれませんが、昨日の地震は「熊本で、大分で、未だ苦しみ戦っている人々がいることを忘れるな」という天の声だったのなのではないかと、これを書きながら感じています。
少し歴史とは離れましたが、歴人マガジンでも、少しでもこのようなことを多くの人が知り、熊本や大分の人達を忘れずに、各々ができる形で応援することのお手伝いができたらと思っています。
参照元:
【熊本地震】寄付・支援先まとめ
「熊本城」オフィシャルサイト
編集長Y
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