平安時代、天文現象は天からのメッセージとされていました。天皇や公家たちは、災異を回避する方法としてその意味を陰陽師から聞き、指針としていたのだそう。なかでも陰陽師として有名だったのが、安倍晴明です。
皆さんも映画や小説などで、その名前を一度は耳にしたことがあると思います。ですが、実際に「陰陽師」とは何をしていたのでしょうか? 今回は陰陽師・安倍晴明についてご紹介しましょう。
陰陽師・安倍晴明とは?
幼い頃から優秀だった晴明公は、陰陽師の賀茂忠行・保憲親子の弟子として陰陽道や天文道を学びます。
陰陽師が用いる陰陽道とは、古代中国で発明された「陰陽の2つの気と木・火・土・金・水の5元素が万物の原理」だとする陰陽五行説に基づいた学問です。
この時代、朝廷には陰陽寮という役所があり、晴明も天文陰陽博士として星や雲の動きから宮殿の異変や遠方での吉凶を言い当て、天皇に報告するというれっきとした仕事をしていたのです。
陰陽道・天文道の専門官僚に就いたのは晴明が最初だったと考えられており、朱雀帝から一条天皇まで6代の天皇の側近として仕え絶大な信頼を集めていました。
陰陽師として地位を確立した安倍晴明には、不思議な逸話もたくさん残されています。
術比べに来た陰陽師を返り討ち
ある時、晴明のもとに一人の老僧が「陰陽道を習いたい」と童子を二人連れ播磨国から訪ねてきました。しかし晴明はその老僧が術比べをしにきたことに気づきます。連れの童子も式神だと察すると、晴明は術を唱え二人を隠してしまったのです。慌てた老僧は「人の使う式神を隠すとは、とてもできることではない」と観念し弟子入りを志願したそうです。
式神の力をカエルで証明
またある時、晴明が寛朝僧正の所へ訪ねたところ、若い公達が晴明の噂を聞きつけ「式神を使って人を殺す事もできるのか?」とたずねました。
晴明は「やろうと思えば出来ます。しかし、生き返らせる事は出来ないので、無益な殺生はできません」と返します。
ちょうど蛙が池に飛び跳ねているのを見た公達は「もし本当にできるなら、あの蛙を殺して見せて下さい」としつこく言いました。
仕方なく、晴明は草の葉をちぎり呪文を唱え、その蛙に投げ付けました。すると蛙はぺちゃんこに潰れて本当に死んでしまったのです。
これには皆驚き、その力を目の当たりにした人々はいやが上にも一目置かざるをえなかったと言います。
人間にやっていたら・・・怖いですね。
12もの式神を操った晴明
一説によると晴明は、12の式神を操ったとも言われています。式神とは鬼神・使役神のことで、一般の人には見えません。
どうやら晴明は家に誰もいない時、その式神を使って雑用などをさせていたらしく、自宅の門が勝手に開閉したりしていたなど不可思議な現象が多々伝えられています。
逸話にちなんで、この鳥居の奥にある「四神門」は現在電動で開閉するらしいです。
しかし妻が怖がったため、式神たちは近くの一条戻橋に隠されてしまったようです。
晴明亡き後、屋敷があった場所には晴明神社が建てられました。今でも「魔除け」「厄除け」の神社として人気を博しています。
近年ではパワースポットとしても注目を集めていますので、京都にお越しの際はぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
もしかしたら、あなたにも式神が見えるかもしれませんよ。
参照元:晴明神社
(編集まきびし)
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