ファッションアイテムとしても愛用されている眼鏡。
現代ではコンタクトレンズが主流となりつつありますが、それでも今やほとんどの日本人がひとつは眼鏡を持っているのではないでしょうか。
そもそも眼鏡はいつごろ発明されて日本にやってきたのでしょうか。
意外に古い眼鏡の発明は13世紀!
レンズを用いて物を拡大するという発明は、なんと紀元前にまで遡ります。紀元前8世紀には古代エジプトでのヒエログリフにガラス製レンズを示す絵文字が残されています。
しかし、実際に物を見ていたかについては定かではありません。どちらかというと太陽光を集めるためのものであると推測されています。紀元1世紀にはローマ皇帝ネロの家庭教師だった小セネカにより、水を満たした球形のガラス器やグラスを通せば、文字を拡大してはっきりと見ることができると記録されています。
眼鏡が発明されたのは13世紀のイタリアだとされています。当時のイタリアでは、ガラス製造技術が盛んだったことも影響しているのでしょう。しかし、誰が発明したのかについては諸説あり、まだ探求されているようです。
宣教師ザビエルによって日本に伝来!
日本に初めて眼鏡が伝来したのは、天文20(1551)年に宣教師のフランシスコ・ザビエルによって周防国の大名であった大内義隆に献上されたものだといわれています。しかし実際に使用していたかどうかは疑問だそうです。
それ以前にも、室町幕府の第12代将軍である足利義晴が所持していたものが現存する眼鏡として最古のものという説もありますが、これも実際に使用していたかは疑問で、ザビエルとの時代が合わないこともあり定説とはなっていません。
眼鏡を愛用したとして伝えられているのは、徳川家康です。当時の日本では眼鏡は生産されておらず、時の権力者であった家康への献上品に眼鏡が含まれていたと考えられています。
家康が愛用していた眼鏡は、耳にかけるタイプではなく手持ちの鼻眼鏡で「目器」と呼ばれており、現在も静岡県の久能山東照宮に重要文化財として納められています。
当時は今と違ってスマホやテレビ、ゲームなどもないのであまり視力が悪くなる要素は無かったと思われます。
家康も晩年老眼鏡として愛用していたようですが、当時は珍しく高価な眼鏡をちょっと自慢がてら身に着けていたのかもしれませんね。
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