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白い米を混ぜた家臣を叱る!「麦ごはん」に異様なこだわりを見せた徳川家康

織田信長49歳、豊臣秀吉63歳、徳川家康75歳・・・。徳川家康が、戦国乱世を終わらせて天下泰平の世を築くことができたのは、「長寿」によるところも大きい。

その長寿の要因は、粗食にあった。「悪い食事」という意味ではない。贅沢を控え、質素ながらバランスのいい食事をするといった意味である。

家康が常食した健康食・麦ごはん

家康がとりわけ好んだのは、麦飯(麦ごはん)だった。昔は精米技術が発達していなかったため、白米に精製するのは手間がかかるぶん、高価だった。だから人々は玄米に麦、粟(あわ)、稗(ひえ)などの穀物を混ぜて食べるのが常であったのだ。
それに現代ほど「おかず」も豊富に用意できたわけではない。できるだけ、主食で栄養を取る必要があり、そのためには米以外の穀物も一緒に食べるほうが合理的だったわけだ。

毎日、麦ごはんを食べていた家康。ある日、側近が気を利かせて、お椀の底に白米のごはんを入れ、その上に麦飯をかぶせて差し出した。それに気づいた家康。箸を置き、側近を呼びつけて言った。

静岡駅前の徳川家康像
(筆者撮影)

「お前の気持ちはうれしい。しかし、わしが麦飯を食うのは倹約のためである。戦乱の世にあって、自分だけが贅沢できようか。わしが進んで倹約すれば、いくらかでも戦費に回せるし、百姓を労わることにもなろう」

側近は恐縮し、ただ平伏するばかりであったという。

 
麦は、ビタミンB1、ナイアシン、繊維質、カルシウムやカリウム、鉄分がたっぷり含まれた健康食品。倹約という目的もあっただろうが、家康は麦ごはんが身体にいいことを「感覚」で知っていたに違いない。

 

家康の死から200年ほど経ったころ、江戸では脚気(かっけ)が流行り病になった。人々は米の栄養素のほとんどを削り落とした白米ばかりを食べるようになり、ビタミンBが欠乏するようになったからである。
以後、日本人はビタミンの存在が発見される大正時代のはじめごろまで、脚気に苦しめられることになったのだ。人々はいつしか、家康の教えを忘れてしまったのだろう。

家康は麦ごはんのほか、味噌、旬の野菜、干魚、鳥肉などもバランスよく食べていた。そして、子孫に対してもこういい残している。

「いつも美味しいものばかり食べていては良くない。美食は月に2、3度でよい。千畳敷きの屋敷を持っていても、寝る場所はわずかに1畳であるように、天下の主といえども、飯はただ1飯よりほか用なしである」

天下人の食に対するこの姿勢。我々も見習いたいものだ。

【文と写真:上永哲矢】

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