渋谷駅から直結のビル「渋谷ヒカリエ」の8階で、川本喜八郎製作の『三国志』『平家物語』の人形が鑑賞できる「川本喜八郎人形ギャラリー」。
先週7月10日(日)から新たな展示が始まったので、まずはその模様を紹介したい。
2012年に完成して以来、すっかり渋谷のランドマークに定着したヒカリエ。その8階はクリエイティブスペースになっており、カフェやギャラリースペースが集合している。
その一角にあるのが「川本喜八郎人形ギャラリー」だ。エスカレーターを上がりきると、すぐ正面に施設名を冠したディスプレイコーナーがある。ここに飾られた本場中国の三国志グッズなどは時々入れ替わるので、こちらも覗いてみるといい。
ギャラリー入口の脇で貂蝉(ちょうせん)が出迎えてくれた。ここにも毎回、1~2体の人形が展示されている。おおむね女性の人形が多い。ギャラリー内は撮影禁止だが、この人形だけは撮影が可能となっている。
入口の自動ドア正面に貼られた川本喜八郎さんと諸葛亮人形のフォト。この左側がギャラリーだ。
約160㎡のスペースに美しい人形がズラリ。生き生きとした人形の数々は、もちろんすべて川本喜八郎さんが生前に製作したもの。2012年6月にオープンしてから、今回で通算8回目の展示替えとなる。
前回の展示(2015年11月~2016年6月)は『平家物語』の人形のみだったが、今回から『三国志』人形の展示が再開された。テーマは「君主と軍師・謀臣」。三国志ファンなら、思わずニヤリとしてしまうような魅惑的なテーマではないか。
そのテーマ通り、董卓と呂布のコーナーには王允、李儒、陳宮がいて、袁紹の傍らには許攸が控える。なによりも赤兎馬に乗った董卓の姿は、なかなか拝めない。これには感激。
そして孫権のコーナーには諸葛瑾や周瑜、魯粛の姿があり、劉備のコーナーには諸葛亮や龐統(ほうとう)が佇むといった具合で、20体の三国志人形が展示されている。
今回、いちばんの目玉は本ギャラリー初展示となる劉璋(りゅうしょう)と法正(左)のコンビ。法正、だいぶ齢をとっている感じだが実に貫録がある。
今回のもうひとつの注目が、曹操の軍師・荀彧(じゅんいく)の若い頃をイメージして製作された「若荀彧」が展示されていることだ。
実は人形劇『三国志』本編で荀彧は1話限り、しかも老臣として登場した。しわしわ顔で、ヨボヨボの姿は味があったけれども、史実や演義のファンは皆「どうして?」と思ったものだった。
人形劇が終了してから何年か経った後、あるファンの方が川本氏本人にリクエストし、それを川本さんが叶える形で「若荀彧」が誕生したという。人形劇『三国志』は終了後も長くファンの記憶に刻まれていたことがよく分かるエピソードだ。
貴重な「若荀彧」の写真は敢えて載せずにおくので、ぜひご自身の目で確かめてみてほしい(映っているのは曹操と程昱=ていいく)。
そして逆サイドには『平家物語』が展示される。今回は「屋島」(屋島の合戦)がテーマ。仁王立ちの弁慶がカッコいい。
弓といえば、名手の那須与一。源平合戦をあまり知らなくても、この戦いで平家の軍船の上に掲げられた扇を射落としたというエピソードを知る人は多いのではないだろうか?
その与一とちょうど向かい合うように的を持って立つ、玉虫(たまむし)。玉虫御前ともいう。「くの字」型のスペースを生かした見事な展示といえよう。平家物語の人形は、今回15体展示。
「人形劇放映当時から川本先生の人形に関わったスタッフの方々のお力を借り、渋谷区とも連携し、いい展示に出来たと思います」と、監修の平井徹(慶応義塾大学講師)さんは話してくれた。
ギャラリーのオープン当初から人形の選定や解説など監修に携わるほか、生前の川本さんとも親しく交流しておられた方だ。
実は、この取材に伺った日は展示替えオープンの2日前。作業が大詰めを迎えていた頃で、人形の整列やポージングなどはすでに終わっていたが、照明の当て方や、細部の見せ方などで、まだまだ協議が続いていた。
展示や作品を解説するパネルの取り付け。簡単そうに見えるが、人が見やすい位置にしっかりと合わせ、ズレがないように調整するので結構大変なようだ。
渋谷区が所有する三国志人形の一覧もパネルで紹介されている。『平家物語』は176体、『三国志』は48体が、渋谷区所有の人形であり、年2回の展示替えごとに入れ替わる形でギャラリーに公開されている。
前回の記事で紹介したように、NHK人形劇『三国志』の撮影で使用された人形は長野県にある「飯田市 川本喜八郎人形美術館」に寄贈、保管されている。その一方で、川本さんは飯田へ寄贈した以外にも『三国志』人形を新たに製作し、アトリエで保管していた。
その製作は2010年8月に川本さんが亡くなる直前まで続き、計48体になった。その後、『平家物語』の人形176体(こちらは放映当時のもの)とともに渋谷区に譲られたというわけだ。
筆者の私も川本さんの生前、アトリエに何度か伺ったことがあるが、完成した人形のほかに、無数の人形の頭(かしら)があったことが思い出される。
川本さんは、もともと東京都渋谷区出身。昔から地元の渋谷区に展示施設をつくろうという計画があり、最終的に140体くらいを製作、納品する予定であったそうだ。しかし、2010年夏に他界されたため半ばで終わったことが惜しまれる。
(上写真=2008年、アトリエにて)
渋谷の人形は、川本さんの晩年につくられたものが多い。よって30年以上前(1980年代)に製作された「飯田市 川本喜八郎人形美術館」の人形とは、顔の造形や服装にも多少の違いがある。
もちろん同じ時期につくったとしても、手作りの人形なので、どれひとつとして同じ造形にはならないから、その微妙な違いを見比べるのも、また楽しみといえよう。
展示の違いをあえていうなれば、飯田は例えば「三顧の礼」などのシーンを想定した「動」の展示。渋谷は人形と正対して鑑賞できる「静」の展示というべきだろうか。これは展示担当者の方針で決まるものだが、どちらにも見所があるし、どちらが良いかはそれぞれの好みもあるだろう。
実は昨夏(2015年8月)、ギャラリーとは別の場所にある人形保管庫の空調が、停電のためストップし、保管されていた人形の一部の衣裳に水浸みとカビが発生してしまったことが新聞などで報じられた(参考記事)。
川本人形のファンにとっては心配ごとでもあったが、今回、管理責任者にあたる渋谷区の文化・都市交流担当部長・船本さんの話を聞くことができた。船本さんは2012年の同ギャラリーの開館に携わった方で、その後他部署へ異動になったが、2016年4月に戻って来られた。船本さん自身、川本先生の人形に魅了されたうちのひとりだという。
「人形の管理は以前と同じ場所で行なっていますが、保管庫に取り付けたセンサーのチェックを日に数回しっかり行ない、万全な管理に努めていますので、ご安心ください。修繕はまだ100%できていませんが、展示が可能と判断した人形は前回も今回も展示に出しています。今後、必要に応じて順次修復を行なう予定です」
「2010年の春に川本先生と初めてお会いし、『あと100体、完成させますよ!』と熱心に話しておられたことが懐かしく思い出されます。残念ながら、その数ヶ月に亡くなり、『三国志』人形は48体に留まりましたが、『平家物語』176体と合わせ、また平井先生らのお力を借りて魅力的な展示ができるよう努力しています。区民の財産である川本先生の人形を一体でも多く、たくさんの方に見ていただきたい。その思いを大切に、皆さまのご期待に応える運営をしていきたいと思います」
一時は大変なことになったと心配したが、改善が進んでいるということで、「川本喜八郎人形ギャラリー」の今後に期待したい。川本人形の鑑賞の場であり、ファンが集って思いを共有できる、都内では唯一ともいえる貴重な場であるのだから。
個人的には、「飯田市 川本喜八郎人形美術館」とはもちろんのこと、川本プロダクション(川本さんの活動を引き継ぐ組織)、および人形づくりの専門知識を有する方と協力し合い、良い形で運営していただきたいとも願っている。
【 文&写真:上永哲矢=哲舟 】
※この記事の写真は2016年7月、渋谷区の許可を得て撮影したものです。
通常、館内は撮影禁止ですので、ご注意ください。
■川本喜八郎人形ギャラリー
渋谷区渋谷2-21-1 渋谷ヒカリエ8階
開館時間:11時~19時
入場:無料
定休日:無休(ヒカリエの営業日と同じ)
https://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/kihachiro_gallery.html
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