まだまだ仏教徒が多かった戦国時代、実は全国にはキリスト教を信奉した「キリシタン大名」が多く存在していた事をご存知でしょうか。
日本初のキリシタン大名・大村純忠
長崎港を開港したことで知られる大村純忠は、日本初のキリシタン大名としても有名です。
領内の長崎や横瀬浦を開港し南蛮貿易を行った純忠は、宣教師たちからキリスト教を学び感銘を受けます。
永禄6年(1563年)、家臣たちと洗礼を受けると日本初のキリシタン大名となり「バルトロメオ」と名乗りました。
その後領民にも入信を奨め、ピーク時の信者は日本国内信者の約半分であたる6万人にもなったそう。
ただ、あまりにやり方が強引だったため、家臣や領民の反発を招くことになるのですが・・・。
純忠がキリシタンになった理由には、ポルトガルからの利益目的だったという説があります。それでも熱心な信者であったことは確かで、一夫一婦制を守り、妻以外の女性とは関係を持たなかったそうです。
熱心なキリシタン大名だった九州の覇者・大友宗麟
現在の宮崎県や大分県を有し、九州各地へ領土を広げた戦国大名・大友宗麟は、キリシタン大名として有名です。
宗麟がキリスト教に興味を持ったきっかけは、火傷の治療でした。
彼の弟は手に火傷を負っており、医者に見せても治る気配が一向にありませんでした。そんな中、たまたま城を訪れていた西洋人に弟の火傷を見せたところ、治療に成功したのです。
その後、数々のキリシタンが宗麟の元を訪れ、キリスト教の話や南蛮の贈り物をします。彼らの話を聞き続けた宗麟は、キリスト教に大いに興味を持ち、自ら洗礼を受けたのです。洗礼名は「ドン・フランシスコ」。
しかし宗麟がキリスト教に帰依した事によって、大友家の家臣達は大いに反発し、家中が混乱してしまう事態となりました。
秀吉が恐れた名軍師・黒田官兵衛もキリシタン大名
秀吉の軍師として活躍した名軍師・黒田官兵衛もキリシタン大名でした。
大河ドラマ「軍師官兵衛」でも、その様子が描かれていましたね。
官兵衛は、代表的なキリシタン大名として知られる高山右近の影響を受け入信した一人で、洗礼名はドンシオメンです。
官兵衛は息子の長政や弟だけでなく、領内の民衆達にも熱心に入信をすすめます。
しかし、秀吉から伴天連追放令が発令されるとキリスト教を捨て、臨済宗に帰依。そして息子の長政に家督を譲るとすぐに隠居し、如水と名乗るようになります。実は熱心なキリスト教徒ではなかったのかもしれませんね。
ちなみに如水という名も、洗礼名からとった説や、漢文から引用して付けた説など、諸説あるようです。
今回は戦国時代のキリシタン大名について紹介しました。
当時キリスト教は一種の「流行」だったので、信者は多かったものの大半は聖書を読んだことも無かったそう。
宣教師が語るキリスト教のすばらしさのみを鵜呑みにし、聖書の内容までは理解できていなかったのかもしれませんね。
参照元
大村観光ナビ
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