歴人マガジン

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【歴史ミステリー】江戸時代にヨーロッパで貴族になった武将の謎

日中韓の貿易史は距離が近いだけあって、奈良時代の遣隋使あたりからはじまり今に至る長い歴史をもちますが、アメリカやヨーロッパとの航海や通商となるといきなり記録が少ない。
戦国時代にポルトガルから南蛮人が来て南蛮貿易が始まったはいいが、江戸時代には鎖国のために幕末のペリー来航まではほとんど欧米からのアプローチがなかったというのが通説ですよね。

しかし江戸時代にアメリカ経由でヨーロッパに行き、なんと貴族の称号を賜った戦国武将がいたのをご存知でしょうか?

その武将は「支倉 常長(はせくら つねなが)」。
彼は1613年、あの独眼竜 伊達政宗配下の武将で、慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパに渡ります。しかも太平洋横断のアメリカ経由。どんだけ怖い航海だったことでしょう。

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支倉常長の航海ルート。

1915年、2年を費やしローマにたどり着いた常長、途中でキリスト教に改宗し、1620年に日本に帰国したはいいものの、その時はすでに江戸幕府がキリスト教を禁止・弾圧していたために、2年後の1622年失意のうちに52歳の生涯を終えました。

「伊達男」にふさわしいお洒落な常長さん

「伊達男」にふさわしいお洒落な常長さん


しかしこの使節団が送られた経緯には謎が多々あり、歴史のミステリーを感じます。
まず最初に彼のクリスチャンネーム。
「ドン・フィリッポ・フランシスコ・ファシクラ・ロクエモン」です(笑)
これだけでもミステリーですが。。。

冗談はさておき、徳川幕府がキリスト教を弾圧しはじめたのになぜ彼を送ることを決めたのでしょうか。

この絵では経験なクリスチャンです。

この絵では敬虔なクリスチャンです。


伊達政宗は当時すでに加賀の前田氏、薩摩の島津氏に次ぐ第3位の外様大名。
関係の深い徳川幕府が禁止しているのに、睨まれるようなことをする必要があったのでしょうか。
一般的には伊達政宗がフランシスコ修道会の宣教師を奥州に派遣してもらうこと、またスペインとの直接通商を目的だとされているようですが、仙台藩の正史には「南蛮の様子を探らせて幕命のもと南蛮を攻めとる云々」の記載があるとか。徳川幕府はヨーロッパに攻め入ろうという計画があったのか??

さらに1986年に見つかった伊達政宗直筆の書状が見つかり、そこには常長の父常成に切腹を命じる旨が書かれており、常長の改易・追放をも命じているとか。
その常長がなぜ復帰できたのか、さらに復帰どころか藩を代表して使節団を率いて行くというのはなぜなのか??
まさか・・・おやじさんの罪を償う「罰ゲーム」か??
その他にも使節団の人数や人選についても謎が多いのがこの使節団なのです。

今の歴史はほぼ全てデジタルアーカイブされているので、地球に隕石がぶつかるとか、未来によほどのことがない限り克明に現在の史実は解明されるでしょうが、紙しか後世への伝達手段がないこの時代ならではの謎が謎を呼ぶ歴史ミステリーに個人的にとても興味があります。
あなたの知っている歴史ミステリーはありますか?あったらぜひ教えてくださいまし。

参照元:
支倉 常長」wikipedia
支倉 常長:400年前のヨーロッパが見た『伊達男』

編集長Y
※2016.06.08追記修正済

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