戦国時代は大軍同士がぶつかり合う華々しい戦闘が行われていました。けれどこの軍勢、大半が臨時で雇われた賑やかしだったようです。
戦なき江戸時代に入っても、臨時雇い、今で言うアルバイトは盛んに行われていました。
そんな日本のアルバイト事情を、戦国時代と江戸時代にスポットを当ててご紹介します。
バイト代が出るうえに、その場で稼げる足軽
戦の賑やかしとして雇われた人は、大抵が「足軽」として従軍しました。
参加すると賃金ももらえたようですが、年貢を軽くしてもらったり、また雇い主が敵国であれば、戦後の安堵を保障してもらうことも対価となりました。
また、戦場で物や人を略奪する「乱取り」も貴重な収入でした。
乱取りは当時は広く行われていて、雇い主である武士たちも黙認していたとか。
土木工事も貴重なバイト
築城などの土木工事にも、臨時雇いの人夫が使われました。
築城をバイトにやらせるとか、機密が漏れてもいいのか? とも思いますが・・・情報の漏洩よりも人出の確保が優先されたらしく、あまり口やかましく言われなかったようです。部分的な作業に集中させておけば重要な情報を得られる心配もない、というのもあったかもしれませんね。
バイト代を弾んで大成功!?高松城の水攻め
バイトを使った土木工事の有名な成功例と言えば、秀吉の高松城攻略でしょう。
黒田官兵衛の献策により水攻めを行うことになり、そのために高松城を土嚢で囲みますが、その時の人手は臨時雇い。
ただし、破格の給金を用意したそうです。
これによりモチベーションが上がって、土嚢はわずか11日で完成。ちょうど梅雨の時期で降った雨は見事に高松城に溜まり、水攻めに成功したとのことです。
やっぱり良い仕事をさせるには良い支払いが大事なんですね。
江戸時代に広がるバイト口
臨時の雇用スタイルは、江戸時代になると広まりました。
というのも、武家は家格ごとに定められた人数の家臣を持つ義務があったのですが、財政が厳しくなると、常時人を雇う、今で言うなら正社員雇用は難しかったためです。
そこで武家は、必要な時にだけ人数を揃える「臨時雇い」が盛んになっていきます。
期間も時代が下るごと、財政が厳しくなるごとに短期化していき・・・なんだか身につまされる話ですね。
ちなみに大名行列も、大事なポイントを通過するときだけ日雇いバイトを使って人数を揃えるようになったようです。
バイト生活を謳歌した江戸っ子たち
需要あるところに供給あり。
江戸に暮らす人々にとっては、こうした日雇い生活が丁度良かった部分もあるようです。
彼らの中には日頃は遊び暮らし、溜まったツケの支払期限が近づくと数日働いて、支払いが完了したらまた仕事をやめ・・・という生活をする人もいました。
長屋の家賃は厠での排泄物も含まれたようで、支払う金額は現代の感覚よりは安く済んだようです。
そうした仕組みからも江戸っ子の自由な生き方を可能にしたのかもしれません。
また、江戸は人口が多く、火事や窃盗が多い地域でもありました。
せっかく貯めたお金を失う機会も多く、それなら必要な時に必要なだけ働く、いわゆる「宵越しの銭は持たない」価値観を育んだようです。
江戸時代には「口入れ屋」とも言われる、人出が欲しい家や店と働き口が欲しい人を仲介する商売もあったようです。
今で言う人材派遣会社のようなものでしょうか。
現代の雇用問題も日本の歴史に根ざした「あるある」なのかも。
解決方法は、すでに歴史が教えてくれているかもしれませんね。
(Sati)
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