【セロリを日本に持ち込んだのは清正?】戦国大名たちが考案・発祥の食べ物まとめ

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【セロリを日本に持ち込んだのは清正?】戦国大名たちが考案・発祥の食べ物まとめ

大河ドラマ「真田丸」で、伊達政宗が豊臣秀吉や配下の武将の前でずんだ餅をふるまう場面がありました。ずんだ餅は政宗が考案したものだと伝わっていますね。
他にも戦国大名が考案したり、発祥だと言われる食べ物があるのをご存知でしょうか?

武田信玄とほうとう

「山梨名物のほうとう」
「山梨名物のほうとう」

山梨名物「ほうとう」、冬に食べると特においしいですよね。
きしめんがもっと太くなったような麺が食べごたえがあって、野菜や肉と煮込むとお腹にたまって力が湧いてきます。

ほうとう自体の起源は平安・鎌倉時代あたりとも言われていますが、広めたのは武田信玄だという説があります。
甲斐は山間部であるため、稲作には向きませんでした。産業は主に養蚕で、桑の栽培が終わった後に小麦を作ったのだそうです。これがほうとうの材料になりました。

ほうとうは武田軍の陣中食としても重宝されたと言われています。乾麺なので軽くて持ち運びがしやすく、米よりも手っ取り早く調理できたためです。野菜と肉を調達して味噌で煮込めば栄養価も高く、これが武田軍の強さの秘密だったと考えても良いかもしれません。
ほうとうという名の由来も諸説ありますが、これを好物とした信玄が自分の刀(宝刀)で材料を切ったのでその名が付いたとも言われているそうですよ。

仙石秀久と信州そば

信州そば
「信州と言えば信州そば」

秀吉古参の武将で、「鈴なり武者」の逸話で知られる仙石秀久は、大名復帰を果たした後に信濃小諸(長野県小諸市)に領地を与えられました。

「改易から復帰した数少ない大名、仙石秀久」
「改易から復帰した数少ない大名、仙石秀久」

その地で秀久は善政を行いましたが、その中のひとつに「そばを名産品にしよう」という取り組みがありました。
そば切りにまで参加し、領民とコミュニケーションを図ったそうですよ。このため、彼は「仙石さん」と呼ばれて慕われたそうです。

こうして小諸には信州そばという名産品が完成し、現在にまで続いています。
ちなみに、仙石氏はその後但馬出石(兵庫県豊岡市)に国替えとなりました。その時にそば職人も連れて行ったため、出石では「出石皿そば」が名産品となっています。

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加藤清正とセロリ

「清正人参と呼ばれたセロリ」
「清正人参と呼ばれたセロリ」

朝鮮出兵の際の加藤清正には、虎退治の逸話や「鬼上官」と呼ばれたという話がありますが、彼が朝鮮から持ち帰ったといわれるのがセロリです。
現地で清正は「これは人参だ」とだまされて持ち帰ったとも言われており、当時は「清正人参」と呼ばれたそう。

1800年頃にもオランダ船が持ち込んだのですが、香りが強く独特なため普及しなかったそうです。食生活の欧米化に伴ってようやく広まったそうですよ。
ちなみに、現在日本にある品種はすべてアメリカ原産だそうです。

徳川家康とわさび

「葉っぱが葵の御紋に似ているわさび」
「葉っぱが葵の御紋に似ているわさび」

わさび発祥の地は静岡市有東木で、1516年頃から住民が渓谷に生えていたものを栽培したことが始まりです。
静岡市といえば、徳川家康の領地ですね。
決して家康がわさびを広めたわけではないのですが、彼は駿府城に献上されたわさびをいたく気に入り、「天下の珍味」と称賛して門外不出と定めました。
わさびの葉っぱが徳川家の葵の御紋に似ていたこともあったそうです。

門外不出といっても、いつかは外に漏れてしまうものです。この地にシイタケ栽培の指導に訪れた男によって、わさびの苗はこっそり持ち出され、広まっていったのでした。

全国各地の名産品には、きっとまだまだ戦国大名に関係するものがあるはずです。旅行先でぜひ探してみるのもいいかもしれません。

(xiao)

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