大河ドラマ「真田丸」人気もあり、2016年はまさに真田イヤー。9月22日(木)には映画「真田十勇士」も公開となります。
真田幸村に仕えて戦場で大活躍したのが真田十勇士、と私も幼い頃は信じていました。彼らが史実に登場したという話はあるのでしょうか?十勇士それぞれの紹介を交え、探ってみましょう!
真田十勇士とは?
江戸中期に成立した「真田三代記」や「難波戦記」などの講談ものでは、真田昌幸・幸村・大助が優秀な部下たち(後の真田十勇士)に助けられ、強大な徳川勢力に立ち向かう痛快な物語が展開されました。
ちなみに、幸村という呼び方はここで定着したようです。今回は信繁ではなく幸村と呼びますね。
そうした講談を筆記した少年向けの「立川文庫」が明治・大正期に書かれたことで、真田十勇士という呼称が定着しました。それぞれ個性的な十勇士はとても人気だったんです。
十勇士一の人気者・猿飛佐助
十勇士の中で一番の人気と知名度を誇る甲賀忍者です。
幸村の部下として各地を巡行、情勢をうかがい情報提供をしました。大坂の陣の後は幸村と共に薩摩へ落ち延びます。
クールで熱い?霧隠才蔵
佐助のライバル的な伊賀忍者で、山賊となっていたところを佐助と出会い力比べをし、やがて幸村の部下となります。夏の陣では家康本陣に忍び込み暗殺を試みましたが果たせませんでした。基本、イケメン風味に描かれることが多いようです。
迫力満点!三好清海入道
出羽国亀田の領主という破戒僧。弟・伊三入道と共に幸村に仕え、夏の陣で戦死しました。巨大な樫の棒で敵をなぎ倒す豪傑です。
兄と一緒に戦う破戒僧・三好伊三入道
兄・清海入道と共に幸村に仕えた破戒僧です。兄と同様、夏の陣で戦死しました。
武田家臣、穴山梅雪の甥・穴山小助
武田と真田に仕えた父を持ち、古くから幸村に仕えています。同い年で背格好も似ているため影武者となり、夏の陣では家康本陣に切り込んで戦死しました。
珍しい鎖鎌の使い手・由利鎌之助
三河野田の菅沼家に仕えるも、真田と対戦した際に穴山小助に敗れ、真田の家臣となりました。江戸で道場を開いて徳川の動向を探っています。槍と鎖鎌の使い手です。
十勇士の頭脳・海野六郎
真田の重臣・海野家の一族で、いちばんの古株です。頭が切れ、幸村の右腕として参謀を務めました。夏の陣の後は薩摩落ちします。
海賊の頭領だった根津甚八
名門根津氏出身ながら海賊の頭領となっていましたが、幸村が九鬼水軍を探りに来た時に出会い、部下となります。幸村の影武者となり戦死しました。俳優の根津甚八さんの名前は、ここから採られています。
九度山で幸村に仕えた望月六郎
他の勇士が全国巡行する中、彼だけは九度山の幸村の側に残り爆弾を作っていたとか。夏の陣で影武者となり、敵に包囲され自刃しました。
種子島銃の使い手・筧十蔵
父は真田家臣とも蜂須賀家臣とも言われますが、本人は幸村に仕え、鉄砲隊で活躍しました。夏の陣で討死したとも薩摩落ちしたとも言われています。
そんな十勇士たち、映画「真田十勇士」ではこんなにかっこよく登場します!
ちなみに長野県上田市では市内のいたるところで十勇士たちの像が見れます。
架空なのか実在なのか
結論から言えば、真田十勇士は架空の存在です。
ただモデルはおり、特に海野・根津・望月という名は真田一族の祖となる豪族・滋野一党に名を連ねています。
また、実際に真田信繁の首実検に多くの影武者の首が提出されたことから、十勇士たちの何人かは影武者となったと描かれたのですね。
そして、佐助や才蔵などの忍者の存在です。真田領内には山伏の修験場があり、荒業や術の経験を積んだ山伏が忍者のような存在として描かれたのかもしれません。加えて、出浦盛清などの忍者の頭領が仕えていたことも、真田十勇士の登場のベースとなったことは疑いありません。
こういう創作が成されるほど、真田一族が人気抜群だったということですよね。ある意味、三国志演義に通じるところがあるなと思いました。
架空のキャラクターではありますが、真田十勇士に似た人物は実際いたのかもしれません。
ちなみに映画・舞台の『真田十勇士』は、「真田幸村の伝説は、猿飛佐助に仕組まれたものだった」という大胆な発想を元に創作されたエンターテインメント作品。史実はともかく、新たな「真田十勇士」の世界を楽しんでみてはいかがでしょうか。
映画『真田十勇士』
9月22日(祝・木)全国超拡大ロードショー!
監督:堤幸彦 脚本:マキノノゾミ 鈴木哲也
出演:中村勘九郎 松坂桃李 大島優子ほか多数
配給:松竹・日活
公式HP: http://sanada10braves.jp/
©2016『真田十勇士』製作委員会
(xiao)
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