【死因も謎のまま…】5分で分かる鎌倉幕府の創始者・源頼朝の生涯

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【死因も謎のまま…】5分で分かる鎌倉幕府の創始者・源頼朝の生涯

建久10年1月13日(1199年2月9日)は源頼朝の命日です。死因は落馬と言われていますが、はっきりしていません。鎌倉幕府を開き、武士の世を確立した頼朝が歩んだ人生は、実に波乱万丈でした。そんな頼朝の節目となったエピソードを中心に、その生涯をわかりやすくご紹介します。

処刑直前で命を救われた少年時代

頼朝の出生跡地・誓願寺(現在の名古屋市熱田区)

久安3(1147)年、源義朝の三男として生まれた頼朝は、母・由良御前の身分が高かったこともあって、家督を継ぐ存在とみなされていました。

父・義朝は保元の乱後白河天皇に従い勝利に貢献し、力を付けていく途中でした。しかし、平治元(1159)年の平治の乱に参戦し、平家の棟梁・平清盛らに敗れます。この時13歳の頼朝は父に従い落ち延びますが、父は途中で殺され、兄たちも相次いで処刑・負傷落命してしまいました。そして頼朝はひとりはぐれてしまい、そこを平家に捕らえられて京都へ送られることとなったのです。

源頼朝の少年時代を演じた中川大志
大河ドラマ「平清盛」ⒸNHK

13歳とはいえ源氏の後継ぎ、死刑は当然と思われていましたが、平清盛の義母・池禅尼らの命乞いにより命を救われ、伊豆の蛭ヶ小島(ひるがこじま)へ流刑となります。
ここで処刑されなかったことが、頼朝と平家の運命を大きく変えることになりました。

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流刑地での結婚と平家追討

伊豆での生活の中で、頼朝は豪族・北条時政の娘・政子と出会い、大恋愛の末に結婚します。そして土着の豪族たちの支持を集めていきました。

頼朝(岡田将生)は流人生活のなかで北条政子(杏)と夫婦になる
大河ドラマ「平清盛」ⒸNHK

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治承4(1180)年、後白河法皇皇子・以仁王(もちひとおう)が平家追討の令旨を源氏一門に発すると、雌伏の時を過ごしていた頼朝は挙兵を決意します。まずは関東を平定して勢力基盤を固めると、自分の元に参上した弟・範頼や義経と共に、平家を追いつめていきました。やがて文治元(1185)年、壇ノ浦で平家を滅ぼすと、もはや頼朝に敵はいなくなったのです。父の仇を討った瞬間でもありました。

『安徳天皇縁起絵図』
(赤間神宮所蔵)

義経追放と鎌倉幕府の設置

「頼朝の平家追討に大きな貢献をした弟・義経」

平家を滅ぼした弟・義経は、総大将の平宗盛父子を伴って鎌倉へと戻ってきましたが、同時に勝手に部下を処罰するなど越権行為をしたという報告がありました。そのため、頼朝は義経が鎌倉に入ることを許しませんでした。
それによって、兄弟の間に亀裂が入ります。頼朝は、義経が兄を恨み敵対するような言動を取ったことに対して、その所領を没収としました。一方、義経は後白河法皇に頼み、頼朝追討の命を下させたのです。兄弟間の緊張は一気に高まり対戦ムードとなりますが、頼朝の勢力の前に義経は落ち延びて行ったのでした。

一方、今や朝廷を左右する力を持った頼朝は、守護・地頭の設置を認める「文治の勅許」を得ました。これによって、全国の荘園を掌握することとなったのです。

次に頼朝は、義経をかくまっていた奥州藤原氏の討伐に乗り出します。当主の秀衡が死去すると、後を継いだ泰衡は頼朝の圧力に屈し、義経を自害へと追いやってしまいました。これをきっかけにして頼朝は本格的に奥州藤原氏との奥州合戦へと突入し、徹底的に打ち破り滅亡させます。これで奥州の巨大勢力を駆逐し、鎌倉幕府設置への確固たるステップを踏んだのでした。

教科書でよく見た「絹本着色伝源頼朝像」(神護寺蔵)
近年では足利直義像という説が。

そして建久3(1192)年、頼朝は征夷大将軍に任ぜられます。この年をもって鎌倉幕府が開かれたとされてきましたが、近年では守護・地頭を設置した1185年などが実質的な幕府の成立だったという説もあります。とはいえ、頼朝は大事業を達成したのです。

最期はあっけなく落馬が原因?

「かつての法華堂跡に建てられた白旗神社奥の山頂に、頼朝の墓がある(神奈川県鎌倉市)」

頼朝の最期は謎に包まれています。建久9(1198)年末、相模川に架けた橋の落成供養の帰途で落馬した後に体調を崩し、翌年の1月には亡くなったとされています。しかし史料によっては飲水の病や、義経の亡霊を見て倒れたなど、死因は諸説あるようです。
鎌倉幕府を開くという大事業を成し遂げた頼朝でしたが、後を継いだ息子たちは相次いで暗殺され、頼朝の血を引く将軍はわずか3代で途絶えることとなるのでした。

(xiao)


大河ドラマ「平清盛」
放送日:2017年2月20日(月)スタート 月-金 午後2:00~ ※リピート:深夜0:00~
番組ページ:http://www.ch-ginga.jp/feature/kiyomori/

【ストーリー】
元永元年(1118年)、京都。貴族の世は乱れ、武家である平氏の嫡男、忠盛(中井貴一)も朝廷に命じられるまま盗賊の捕縛などをしていた。ある日、忠盛は貧しい身なりの女性と出会う。舞子(吹石一恵)というその女性はかつて御所に出入りしていた白拍子で、時の最高権力者、白河法皇(伊東四朗)の子を身ごもっていた。忠盛はお腹の子を殺されることを恐れ逃げてきた舞子をかくまう。忠盛の家の納屋で、舞子は出産。その赤ん坊こそが後に平家の棟梁となる平清盛(松山ケンイチ)であった。


 

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