偉大な戦績を残した武将・軍人、素晴らしい詩や作品を残した文学者、安定した世を統治した政治家・・・日本には多くの「偉人」が存在します。
しかし、歴史に名の残る偉人といえど、常に国を考え、公益のみを追求していたわけではありません。
私生活での彼らは、一体どんな事柄に熱中していたのでしょうか? 偉人たちが夢中になっていた意外な趣味をご紹介します。
専門家並みの博識!「薬の調合」が得意だった徳川家康
忍耐強く真面目、用心深い性格といわれている徳川家康(1543年~1616年)。
健康面に気を使った徳川家康は、漢方薬を中心とした生薬を自身で調合していました。
専門家も驚くほどの博識だったらしく、中国や欧州など海外の薬に関する知識も豊富で専門書も複数読破。調合するだけでは無く、薬草園で栽培していたとも伝えられています。
関ヶ原の合戦では、家臣たちにも怪我をした部分を石鹸で洗うように指導し、感染症予防にも努めていました。
この趣味のお陰か、当時としては長寿だった74歳まで生きています。
南蛮モノ&吉原通い…とにかく新しいもの好きな徳川光圀
「水戸黄門」として知られている徳川光圀(1628年~1701年)。
徳川光圀は新しいもの好き、特に海外(南蛮)から届いたものが大好きで、「日本人で初めて徳川光圀が食べた・試したモノ」が多く存在します。
日本で初めて食べたものは「ラーメン」「餃子」「牛乳酒」「チーズ」などがあり、水戸の代表的な人物らしく「黒豆納豆」にも挑戦したとされています。また、ワインも愛飲しており、南蛮グルメにはこだわりがあったようで、中華麺から打ち、本格的な薬味も入れた「後楽うどん」と名付けたラーメンを自作していました。
グルメのほかにハマっていたのが「吉原通い」。
若い頃は頻繁に吉原へ通っていたことで有名です。ちなみに、女性だけではなく男色も嗜んでいたとか。さすがです。
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「鈴」マニアだった本居宣長
日本書紀や源氏物語などを研究していた国学者・文献学者であり、医師でもあった本居宣長(1730年~1801年)。
他にも和歌や経済、歴史などに精通しており多才だった本居宣長の趣味は「鈴集め」。
松平康定から頂いた「駅鈴」など珍しい鈴を多数所有していましたが、貴重品として集めていただけではなく、人を呼ぶために仕事机の側に30個以上の鈴を備え付け、妻や御手伝い、側室など鳴らす回数によって呼び方をわけていたそうです。(分かるのでしょうか?笑)
自身の家に「鈴屋」という屋号を付けており、門人を集めて鈴に関する講義もしていました。
現在、集めていた鈴は「本居宣長記念館」で見ることが可能です。
料理&能も堪能だった伊達政宗
仙台藩初代藩主であり「独眼流」として有名な伊達政宗(1567年~1636年)。
忍者集団を抱え、戦略的にも長けた文武両道の戦国武将として知られている伊達政宗ですが、実は料理の腕は玄人はだしだったそうです。
毎朝、厠(小部屋)に籠り、その日の献立を熟考することから伊達政宗の一日が始まります。
従来通りの日本的な調理だけではなく、海外料理も参考にしており「白鳥の塩漬け」といった海外風の料理も作り、幕府に献上したこともあるとか。
他にも「ずんだ餅」、「仙台味噌」、「凍り豆腐」といった仙台名物は伊達政宗が考案したとされています。
若い頃から習っていた能にも熱中しており、年間3万石以上を能に使用していたほど。
豊臣秀吉の前で太鼓を打ったこともあるそうです。
本業とは別に趣味に熱中していた人、趣味を本業へ活かしていた人と様々ですが、偉業とは別に偉人の人間性を表現していて面白いですね。
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