【 世界最高水準だった !?】江戸時代に起きた空前の和算ブーム

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【 世界最高水準だった !?】江戸時代に起きた空前の和算ブーム

日本で独自に発達した数学「和算」。実は算数の授業で覚えさせられる九九も和算だと、知っていましたか?

「2本足の鶴と4本足の亀が計10匹、足の数は計32本。この時、鶴と亀はそれぞれ何匹?」
「1本の道の端と端から歩き始めた2人が出くわすのは何分後?」など・・・

これらの鶴亀算や旅人算に頭を悩ました方も多いのではないでしょうか?懐かしい問題ですが、これも和算です。
江戸時代には地域や身分を問わず大流行し、そのレベルはヨーロッパの数学とも肩を並べるほどでした。そんな和算の歴史をご紹介します。

7世紀に中国からもたらされ、そろばんの誕生で発展

和算の基礎となる数学の知識が日本にもたらされたのは、7世紀のこと。遣隋使や遣唐使を通じて大陸王朝の様々な技術や知識と共に、数学も輸入されました。

万葉集には次の歌が残っています。

「若草乃 新手枕乎 巻始而 夜哉将間 二八十一不在國」
(わかくさの にひたまくらを まきそめて よをやへだてる にくくあらなくに)

「くく」という読みに「八十一」という漢字が当てられており、すでに九九が日本で知られていたことがわかります。

『塵劫記』そろばん使用法を解説している頁

14世紀頃にそろばんが発明されると、計算できる幅が広がり数学が発展。
江戸時代初期である寛永4(1627)年に、そろばんでの計算方法をまとめた「塵劫記」が出版されると、数学が大流行しました。
その後、関孝和によって日本の数学は大幅に発展。これが和算の礎となりました。

和算は独自に発展しながら世界最高水準だった

「関孝和を使った記念切手(1992年)」

関孝和は、延宝2(1674)年に和算によって行列式という公式を発見しています。
ヨーロッパの数学者が発見するのは、奇しくもその翌年でした。

また、関孝和の弟子・建部賢弘は、円周率を小数点以下41桁まで求めることに成功します。この桁は、当時は世界最高水準だったとのこと。

江戸時代の和算は世界レベルだったようです。

和算は寺子屋と共に地域や身分を問わず広まった

寺子屋の筆子と女性教師(一寸子花里「文学ばんだいの宝」)

和算の教本は寺子屋にも取り入れられ、身分を問わず学ぶことができました。
人々は収穫に対する年貢の割合の計算から、土木測量、暦の計算などの実学、さらに知的好奇心を満たす娯楽など、様々なシーンで和算を活用しました。

また、和算研究には流派があり、互いに競い合ったこと。全国を遊歴する和算家がいたことなどからも、和算はどんどん発展し、広まっていきます。

そんな江戸時代の和算ブームを今に伝えるのが、算額です。

問題や解答を神社に奉納!日本独自の「算額」

「算額の問題例。問題を描いて奉納します」

和算愛好家や研究者は、難題が解けるとその解答を額にして、神社に奉納しました。
また、問題だけを奉納することも。奉納された算額は誰でも見ることができたので、そこから別の人が難問に挑み、解けたら解答を奉納して・・・などの交流も盛んに行われていました。

和算という数学自体が日本で独自に発展したものですが、数学の問題や解答を奉納するのもまた、日本独自の文化でした。

秘かにブームになりつつある!?和算

「和算に関する場面が登場する『天地明察』(角川書店)」

和算は明治時代になると教育の現場から退けられ、一気に廃れていきます。
ところが、最近になって首都圏を中心に小学校で和算を取り入れる動きが広がっているようです。
なんでも問題文が恋愛のもつれだの、跡目争いだの、いちいちドラマチックで従来の算数より関心が引けるのだとか。
たしかに、そう言われるとどんな問題があるのか興味がわいてきますね。
また、和算を題材にした書籍や小説も発行され、秘かなブームになっているとか。
数学や算数は苦手で通ってきた人も、和算でリベンジなんていかがでしょうか。

(Sati)

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