幕末に活躍した兵学者・佐久間象山。8月22日(火)放送のEテレ『先人たちの底力 知恵泉』では、「幕末 孤高の挑戦者 佐久間象山 空気を読むな!」と題し、改革の礎となった天才の知恵を特集します。
学者・佐久間象山は遠慮なし!
坂本龍馬、吉田松陰、勝海舟ら、幕末の英雄たちが師と仰いだ佐久間象山。その言動は弟子たちよりも激しいものでした。
ペリー来航前から、西洋の脅威への対抗策を主張した象山でしたが、当時の平和な日本では通用するはずもなく、周りとぶつかってばかり。大砲の試し射ちでは、誤って幕府領に着弾するも、象山は「日本のために必要な実験」と、どこ吹く風。挙げ句の果てには、吉田松陰に海外密航をそそのかします。
しかし、この大胆な象山の発想や行動が、やがて幕末・日本の変革を導くのです。
なぜ象山は、失敗や危険を恐れず、自分の道に絶対の自信があったのか?
「空気を読むな!空気を変えろ!」。番組では威風堂々に突っ走った象山の知恵に迫ります。
象山はあの真田家・松代藩の出身
大河ドラマ『真田丸』のエンディングでも触れられていましたが、象山は真田家の松代藩の出身で、藩士・佐久間一学国善の長男として生まれます。
国善が50歳、母が31歳の時に生まれ、養子の続いていた佐久間家では久しぶりの男児だったため、国善は大喜びしたそうです。
天保2年(1831)3月、象山が21歳のとき、藩主の真田幸貫の世子である幸良の近習・教育係に抜擢されますが、高齢の父に孝行できないことを理由に5月で辞任しています。幸貫は象山の性格を癪が強いとしながらも高く評価していたそうです。
しかし翌年、象山が藩老に対して不遜な態度があったとして、幸貫から閉門(江戸時代の刑罰の一種)を命じられます。これは武芸大会で、象山が国善の門弟名簿を藩に提出したところ、序列に誤りがあり改めるように注意を受けたにも関わらず、象山は絶対に間違っていないとして認めなかったためでした。
この閉門の間に国善の病が重くなったため、幸貫は象山を赦免。その翌年の天保4年(1833)に、江戸に出ることになります。
嫌われても自分を曲げない大胆さ
自信過剰な性格のため、敵も多かった象山。数々の多大な業績を残したにも関わらず彼の評価が低いのは、その性格ゆえだったともいわれています。しかし、多くの優秀な人材を輩出し、幕末の動乱期に多大な影響を与え、その影響は今の日本の姿にまで及ぶといっても過言ではありません。
たとえ嫌われても自分の考えを曲げずに押し通す、象山の大胆さこそ、現代社会に足りないものかもしれません。
象山先生の知恵を学びに、8月22日(火)の放送をご覧ください。
Eテレ【先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)】
放送日時:
2017年8月22日(火)22:00〜22:43
「幕末 孤高の挑戦者 佐久間象山 空気を読むな!」公式HP:Eテレ「先人たちの底力 知恵泉」
http://www4.nhk.or.jp/chieizu/
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