戦国時代、瀬戸内最強の水軍を率いた、村上海賊の王・村上武吉。
陸の権力にこびず、何百年も自由に生きた村上水軍は、戦国の世には島々の秘密城塞を拠点に、毛利など陸の諸大名を翻弄し続けました。
まさに村上武吉の行く手をさえぎる者なし!ところがそこに、天下統一を目指す陸の支配者・豊臣秀吉が服属を要求します。
9月28日(木)に放送のNHK BSプレミアム「英雄たちの選択」では、海賊王・村上武吉vs.天下人・豊臣秀吉の攻防の真実に迫ります。
瀬戸内最強!村上水軍とは?
村上氏の遠祖は清和源氏または村上源氏と言われ、平安時代末期から、伊予国の河野氏と結んで瀬戸内に勢力を張ったとされます。
能島、来島、因島の三島に分かれており、能島村上氏は能島城(能島)、因島村上氏はのちに青木城(因島)、来島村上氏は来島城(来島)を本拠として活動。一応能島を宗家としていましたが、因島は安芸国の児玉氏や小早川氏と親しく、来島は伊予の河野氏と親しいなど、それぞれの利害関係を優先し、独自に行動していました。
武吉は幼くして祖父を暗殺され、自らの命も危うくなったために島を離れ、肥後国の菊池氏を頼ります。やがて能島に戻ると従兄の村上義益とそれを支援する来島勢を破り、能島当主となります。義益が病死すると、来島の村上通康と和義を結び、その娘と結婚、村上三島の頭領格となるのです。
陸の武将たちを翻弄する武吉
武吉率いる村上水軍は、天文24年(1555)の毛利元就と陶晴賢の厳島の戦いの際、「1日だけの味方」の言葉にひかれ、毛利方に加担したことで、毛利氏との関係を深めたと言われます。実際に毛利方に加勢したかどうかについてははっきりしていませんが、これ以降、村上水軍は瀬戸内の他の水軍とも手を結び、一族の重臣を瀬戸内の要衝を抑える位置に置き、通行する船から帆別銭(たべつせん・通行料)を取り立てるなど、大いに栄え、ついに瀬戸内海一の海軍となります。
しかし永禄12年(1569)、毛利氏の九州攻めが失敗すると、大友氏や三好氏などに接近、関係を深め始めます。不穏な行動を取り始めた武吉に対して毛利氏は、毛利元就・毛利輝元・小早川隆景の三者が武吉と起請文を交わすなど、お互いが友好関係であることを改めて確認させるほどでした。
それでも武吉は反毛利の姿勢を取り、毛利と敵対する浦上宗景に味方したため、ついに小早川隆景が兵を挙げます。隆景が能島攻めの軍を起こすと来島・因島水軍もこれに従ったため、孤立した能島は三好氏や他の水軍に兵糧の補給を要請します。しかし、これも隆景に阻止され、能島を包囲・海上封鎖されるという苦境に追い込まれます。
この後、武吉と毛利との関係修復は徐々に回復し、毛利氏と織田信長、毛利方水軍として活躍します。毛利氏だけをとっても、武吉がいかに陸の武将たちを翻弄していたかがわかります。
秀吉vs.村上水軍
その頃、織田信長は、志摩国の大名・九鬼嘉隆を従え、嘉隆が率いる九鬼水軍を主体とした水軍を編成していました。信長の死後には豊臣秀吉に引き継がれる事となります。
そんな秀吉は、九州征伐の翌年の天正16年(1588)、刀狩令とともに海上賊船禁止令を発布し、海賊衆の財源であった海上関における通行料徴収や、秀吉の許可を得ない海外貿易などの活動を禁止、それぞれの領主の支配に服することを命じます。これによって武吉は、今までの自由な活動ができなくなってしまうのです。
天下を狙う陸の支配者を前に、武吉は屈辱に生きるのか?海賊の誇りをかけて抵抗するのか?そのとき、武吉の決断とは・・・。
壮大なスケールと海洋ロマン、知られざる日本史風雲絵巻が幕をあける、NHK BSプレミアム【英雄たちの選択】「海賊王・村上武吉vs.天下人・豊臣秀吉」は、9月28日(木)20時からの放送です。お見逃しなく!
BSプレミアム【英雄たちの選択】
「海賊王・村上武吉vs.天下人・豊臣秀吉」
放送日時:2017年9月28日(木) 20:00~20:59
司会:磯田道史、渡邊佐和子
出演:山田吉彦、山内譲、中野信子
語り:松重豊
公式HP:英雄たちの選択
http://www4.nhk.or.jp/heroes/
(編集部)
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