近年「応仁の乱」についての書籍が異例のヒットで注目を集めましたよね。複雑な要素が絡んだ戦乱でしたが、歴史上の戦乱は「乱」だけではないことに気付いている方も多いかと思います。代表的なのは「変」。この違い、わかりますか?何となくわかるような、でもはっきりしない・・・そんな疑問を一緒に解決していきましょう。そして、ぜひ知っておいてほしい「変」もあわせてご紹介します。
「乱」と「変」の違いはあるのか?
「乱」と言えば壬申の乱、応仁の乱、島原の乱、時代が進めば神風連の乱や萩の乱など、いろいろと名前が出てきます。
一方、「変」と言えばやはり本能寺の変、そして禁門の変でしょうか。
この違いについては、元学習院大学長の安田元久氏(故人)が発表した論文に歴史学者としての考えが記されています。
※学習院大学が公開している安田氏の論文「歴史事象の呼称について」
・「乱」は世の乱れや戦乱であり、大規模な政治的抗争。
・「変」は凶変や変事、政治変革の陰謀事件。
「乱」にも性質の違いがあり、支配者側がの政治体制が揺らぐかもしれないほどの相手の反乱と、権力を争う内乱とがあります。2つの共通点としては、権力者の視点から「乱」とされており、彼らによって鎮圧されたものなんだそうです。
そして「変」ですが、権力者が反逆に遭い、不当な立場となった事件、もしくは政治上の対立によって起こった陰謀事件だということです。
「乱」と「変」の決定的な違いは、それが起こることによって政治・社会的な変革が起きるかどうかだということ。世の中への影響の大小なんですね。
これにあてはめれば、応仁の乱は室町幕府の弱体化が起きて、戦国大名の勃興となり、大きな変革のきっかけとなりました。また、本能寺の変であれば、織田信長が殺されたとは言っても、社会全体がどうこう変わるというものではなく、そのまま戦国時代が続いています。
また、あまり馴染みはないかもしれませんが、「○○崩れ」という戦もあります。「大物崩れ」や「布野崩れ」、「島原のたのも崩れ」など、乱に比べて多くはありませんが、これらを見てみると、条件的に優勢な方(大抵は兵の多さ)に対する奇襲が成功し、立場が逆転したものではないかと考えられます。
今後注目される!?ぜひ知っておきたい「変」3選
衝撃度は本能寺並み!?「永禄の変」
永禄8(1565)年、室町幕府13代将軍・足利義輝が、当時権力を握っていた三好三人衆と松永久通(久秀の息子)に殺害された事件です。この変についても諸説ありますが、傀儡だった義輝が権威回復に動き始めたため排除されたとも言われています。家臣と別れの杯を交わして打って出た義輝の壮絶な最期は、後世の語り草となりました。
将軍暗殺!「嘉吉の変」
こちらも室町時代、嘉吉元(1441)年、独裁色を強めた6代・足利義教を、有力守護の赤松満祐が宴に招き、その場で一派の大名もろとも殺害しました。その後、満祐は討伐軍に敗北し、一族みな切腹して果てています。
本能寺の変と並ぶ下克上!「大寧寺の変」
周防の戦国大名・大内義隆の元で文治派と武断派の対立が起こり、武断派筆頭家臣の陶晴賢が謀反を起こして義隆を殺害したものです。その後、陶晴賢は新当主を傀儡に据えて実権を握ることとなりました。
様々な「変」をざっとご紹介しましたが、調べれば調べるほど奥が深いもの。ここでは語り切れないため、また改めてご紹介します。
「乱」と「変」の違いについて知っておくと、覚えるときにも納得できますね。今後はどのような「変」「乱」に注目が集まるのか、楽しみです。
(xiao)
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