平成29年(2017)12月1日の皇室会議で、天皇陛下が平成31年(2019)4月30日に退位され、皇太子さまが翌5月1日に新天皇に即位されることが内定しました。終身在位とされた明治以降、初めてとなる退位ですが、天皇は何と呼ばれるのでしょうか?退位後の今上天皇について、皇室研究家で、京都産業大学名誉教授の所 功先生に解説していただきました。
退位後の天皇は「上皇」と呼ばれる?
称号については、今から1300年余り前の「大宝(儀制)令」に「譲位の天皇」が「太上天皇」と定められており、その略称が「上皇」になります。それを参考にして、現在の天皇も「上皇」と呼ばれることになります。
これは、古代中国の『史記』と『漢書』より、秦の始皇帝が父・荘襄王の崩御後に「太上皇」と追尊し、また、漢の高宗が父を「太上皇」と尊称したことに由来します。
日本では645年、皇極女帝が弟の孝徳天皇に譲位されましたが、この時点では、まだこの尊称がなく「皇祖母の尊」と称されていました。
やがて持統女帝が697年に、孫の軽皇子(文武天皇)に譲位された時から「太上天皇」と号されるようになり、それから間もなく「大宝令」に「太上天皇」の規定が設けられました。
また、天皇の敬称は「大宝令」に「陛下」と定められ、太上天皇も「陛下」と称されたことが記録に残っています。ただ、今後の儀式などにおける位置は、夫妻を一対として、天皇・皇后の次に 上皇・皇太后、その後に皇太子・同妃……という並び順になるものと思われます。
皇位継承の儀式はどのように行われる?
今年の6月初めに成立した「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」を受けて、12月1日に皇室会議が開かれ、皇位継承の時期と一連の儀式について協議されました。その結果、「特例法の施行日(譲位日)は、平成31年4月30日とすべき」であり、「皇位の継承がつつがなく行われるよう、政府において遺漏なく準備を進める必要がある」との意見が取りまとめられたのです。
これから検討される重要な課題は、皇位継承に関する儀式を、いつどこでどのように行うかです。これから約1年5カ月後に行われる儀式の在り方を想定してみると、約30年前の例が参考になります。もちろん、前回は崩御、今回は退位=譲位が起点、という違いはありますが、それに続く儀式のもつ意味は変わりません。
前回と今回の儀式の在り方
昭和64年(1989)1月7日の午前6時33分、昭和天皇が崩御されました。法的には、その瞬間、皇太子明仁親王が天皇となられたことになります。しかし実際は、3時間半後の10時ごろ、宮殿の正殿松の間において、吹上御所から運ばれてきた宝剣と神璽(勾玉)、および宮殿の表御座所から運ばれてきた公印(「天皇御璽」と「大日本国璽」)を、皇太子殿下の御前に置く「剣璽等承継の儀」が「国の儀式」(国事行為)として執り行われました。それによって皇位を承け継がれたことが、ご自身にも参列者にも確認され、それがテレビや新聞などでも伝えられて、一般の国民も認識できたのです。
同様に今回も、法的には平成31年(2019)4月30日の深夜に今上陛下が退位され、直後の5月1日午前0時から、皇嗣の皇太子殿下が即位=践祚されることになります。しかし、真夜中に儀式を行うわけにいきませんから、おそらく5月1日に、「剣璽等承継の儀」が行われるものと思われます。
「即位の礼」と「大嘗祭」の時期と在り方
また、それと別に国内外の要人が多数列席する大規模な「即位の礼」は「国の儀式」として、また日本古来の「大嘗祭」は「皇室の公的行事」として、両方とも平成の大礼に準拠して実施されるとみられます。ただ、ぜひ検討してほしいのは、その時期と場所です。
まず「即位の礼」は、前回まで崩御による1年間の諒闇(りょうあん)明けに本格的な準備をするため、翌年にならざるを得ませんでした。しかし今回は、譲位に起因する即位であるため、譲位の実施時期が決定した現在、遅くとも来春から準備すれば、譲位直後の5月か6月、真夏を避けるとすれば、9月か10月に行うことができるのではないでしょうか。
一方、「大嘗祭」は、毎年の新嘗祭と似た趣旨ながら、1代1度の大規模な祭祀であるため、11月の中下旬(古来「卯の日」)に行われるのが慣例です。しかも、それに先立って、神饌用のお米と粟を作るための「斎田」を、古式により点定する必要があります。
この儀礼と祭祀については、柳田國男氏の見解にならい、両者の間隔を空けること、また盛大な即位礼は早めに東京(皇居宮殿)で挙行し、厳粛な大嘗祭は11月中下旬に京都(仙洞御所跡地)で斎行する、と分けることが望ましいと考えています。来年早々から官房長官のもとで検討される諸儀式は、古来の伝統を尊重しながら、現代にふさわしい在り方が十分に工夫されることを念じてやみません。
「上皇」になられたらどこに住む?
さらに、今から具体的に検討し準備しなければならないのが、上皇・皇太后の御住居、及びお御世話をする職員の問題です。これも江戸時代までは、譲位が一般的でしたから、そのための建物があり職員もいました。
上皇の御所は、上皇を仙人になぞらえて「仙洞」と称し、「仙洞御所」または「仙院」と呼ばれました。
上皇の在り方は、時代によって異なりますが、江戸時代には後水尾上皇から光格上皇まで、 天皇の御所に近い場所(ほぼ東南)に、代々造営されています。平安時代には、若くして譲位された上皇が院政を執られる場合、院庁が置かれ、多くの実務官人を擁していましたが、今後、高齢ゆえに譲位される方が院政を敷かれることはありえません。
これから譲位される両陛下の御所はどこに用意されるのでしょうか。12月20日の政府からの発表では、赤坂御用地内の東宮御所を上皇用の御所とされるようです。ここは今の両陛下が結婚の翌年から住まわれ、平成5年(1993)から皇太子御夫妻と愛子内親王の三殿下が住んでおられます。しかも平成20年(2008)から2年かけて耐震構造に改修されました。現皇太子=新天皇親子が皇居の御所へ移られるのに伴い、こちらを多少改修し、使用されるようです。改修中は、高松宮邸だった品川の「高輪御殿」に仮住まいされると報じられています。
なお、「高輪御殿」は、肥後熊本藩主細川氏の下屋敷でしたが、まず明治時代に内親王用の御所が建てられ、ついで大正時代に東宮御所として使われ(邸内に皇太子裕仁親王の御学問所も置かれていた)、さらに昭和時代に高松宮邸として使われてきました。 しかしこちらも、高松宮が絶家となってから12年も経過しており、上皇仮御所とするためには改修が必要になります。
現在、国民の祝日である12月23日の今上天皇の誕生日(天皇誕生日)について、天皇陛下が退位された後、当面は祝日とせずに、平日にすることを政府が検討していると新聞などで報じられました。まだまだ、検討されるべき事項はあるといえるでしょう。
所 功(ところいさお)
昭和16年(1941)12月岐阜県出身。名古屋大学史学科・同大学院修士課程卒業。皇學館大学助教授・文部省教科書調査官を経て同56年(1981)より京都産業大学教授。法学博士(慶應義塾大学・日本法制文化史)。平成24年(2012)より京都産業大学名誉教授、モラロジー研究所教授。
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